映画と編み物

赤い毛糸は誰のため?

公開日 2022.09.12 ライター=多賀谷浩子

コラム
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多賀谷浩子
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毛糸だま2018年春号より

<本記事に記載されている情報は2018年2月当時のものです>


「正しいことは聞いちゃダメ」


これは何十年も前に、ある人が公の場で語っていたインタビューの極意。正しいことを聞いたら、マトモな答えしか出てこない。マトモからちょっとはみ出した、言うつもりのなかった本音にこそ、人間らしくて、うっかり好きになってしまう、その人の魅力が隠れているというのです。映画やドラマには、どこか欠点のある人がよく出てきて、完璧に正しい人が描かれることはまずありません。なんだか、それと似ています。


近頃、いろいろな謝罪会見が、まるでブームみたいに報道されていて、ちょっと不思議に思っている人も少なくないのではないでしょうか。たしかに企業の責任は公の場で謝罪する必要があると思うのだけれど、よくわからないのが恋愛絡みの個人的なもの。一体、誰に対して謝っているのか。逆にいうと、謝らせているのは誰なのか。謝罪を求められる事象を擁護するわけではありませんが、世の中が「正しさ」を振りかざしはじめると、なんだか途端につまらなくなるような気がします。まるで完璧な人しか登場しない映画みたいに。


韓国にキム・ギドクという映画監督がいます。彼の描く世界は「所詮、映画の話でしょ」と言わせない、痛みを味わった人の心に徹底的に寄り添うリアリズムと慈愛と呼んでもいいほどの愛情の深さがあって、観た人の心の奥に忘れ得ぬ衝撃をもたらします。5年前の『嘆きのピエタ』も前半、目を背けたくなるほどバイオレントなのですが、最後まで観ると、それを上回って感を動かされるものがある。2012年にベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞しました。


主人公は手段を選ばない借金の取り立て屋。30年間、天涯孤独だった彼のもとに、ある日、母親だと名乗る謎の女性が現れます。もちろん、彼はその言葉を信じられません。けれど、彼のもとで無償の愛を注ぎ続ける彼女のことを、次第に彼は母親として受け入れはじめます。ところが、そんな矢先、彼女は忽然と姿を消してしまうのです。彼女は一体、誰なのか―。


この女性、いつも赤い毛糸で何かを編んでいて、それが彼女の正体と共に明かされます。そんなラストの大事なシーンで、彼女がつぶやいた台詞。たった一言の短い台詞なのですが、私はこの一言を聞いた途端、不意を突かれたように涙が溢れてきて、自分でも驚きました。この映画は、正しいか否かというものさしをはるかに超えた世界に私たちを連れていってしまう。理屈を超えたところで心を動かされる人といういきもの。その心に秘められた赦しや慈愛の深さに、胸が震える思いがしました。


書いていて気づきましたが、正しさを振りかざす社会には、赦しや慈愛…やさしさがちょっと足りないのかもしれません。赤い毛糸を編んでいた謎の女性の、彼女自身も予想しなかった心の動きが、なんともいえぬ説得力で、私たちにそう語りかけてきます。

 

画像1『嘆きのピエタ』DVD¥1,900+税/ Blu-ray:¥2,500+税 発売・販売元:キングレコード 監督:キム・ギドク 出演:チョ・ミンス、イ・ジョンジンほか 2012年/韓国 104分©2012 KIM Ki-duk Film.All Rights Reserved.

多賀谷浩子
ライタープロフィール / 多賀谷浩子
ライター。『日本映画ナビ』『ステージナビ』をはじめ、新聞・雑誌・ウェブサイト・劇場パンフレットなどで、映画・演劇に関するエッセイやインタビューを執筆。ミサワホームのウェブサイトにて「映画の中の家」、高校生に向けたサイトMammo tvにて「映画のある生活」の他数誌にて映画コラム連載中。
多賀谷浩子
ライタープロフィール / 多賀谷浩子
ライター。『日本映画ナビ』『ステージナビ』をはじめ、新聞・雑誌・ウェブサイト・劇場パンフレットなどで、映画・演劇に関するエッセイやインタビューを執筆。ミサワホームのウェブサイトにて「映画の中の家」、高校生に向けたサイトMammo tvにて「映画のある生活」の他数誌にて映画コラム連載中。
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