毛糸だま2018年夏号より
<本記事に記載されている情報は2018年5月当時のものです>
人はミニマムな状況に身を置くと、たくさんの情報に埋もれ、見えなくなっていた大切なものがくっきりと見えてくるもの。遺伝性のアルツハイマー病で先が長くないことを悟った映画『蝶の眠り』のヒロイン、松村涼子(中山美穂)もそんな状況に置かれています。
こうした状況に立ってみると、きっと人は自分の生きた証、大切にしてきたものを次の世代に受け継ぎたいと思うのではないしょうか。小説家として長年、作品は発表しても、自身を前に出すことのなかった涼子は、文学を志す学生たちを前に、50歳を過ぎて初めて大学の教壇に立つことを決意します。
その縁で出会ったのが、チャネ(キム・ジェウク)という韓国人の留学生でした。同世代の男の子たちよりどこか大人びた彼に、たぶん涼子は直感的に話の通じるものを感じたのでしょう。偶然も手伝って、これまでずっと手書きだった小説の(パソコンの)文字打ちを彼に頼むことになります。
その作業は、日本にやってきたものの、生活に追われ、小説を書きたいという本分を忘れていたチャネに、いちばん大事なことを思い出させるものでした。涼子と過ごした時間は、やがて彼の中に「書くこと」を芽吹かせます。
そしてまた、残された時間の少ない涼子にとっても、同じ「言葉」を共有できるチャネとの時間は、かけがえのないものでした。二人の日々の会話は、本当に何気ない。けれど、そこで交換し合っていたのは、決して多くの人とは共有できない、とても豊かな何かだったのだろうと思います。
この映画が素敵なのは、二人の絆を恋とも愛ともつかない曖昧なまま描いているところ。涼子はきっと彼の小説家としての「芽」を誰よりも先に感じ取っていたと思うし、そこには「師」のような意識も混ざっていたはず。私たちが経験する実際の恋は、単なるラブストーリーでは割り切れない、もっと複雑な文脈に溢れている気がします。人生のある時点で、互いが必要としているものがもたらされるような。運命の恋というとなんだかスウィートですが、実はそんな不思議な必然を感じます。この映画には、二人が互いのどこに惹かれたのか、そういう説明がありません。気づいたら一緒にいたという、多くの人が知る恋の謎が謎のまま描かれている。だから、二人の間にあった、言葉にできない、いつかは消えてしまう豊かなものが見終わった後、観た人の心の中にそっと宿るのだと思います。
涼子は、どことなく向田邦子を思わせる、ライフスタイルやファッションまでもが憧れの対象になるような小説家として描かれています。シーンごとに変わる衣装を観ているのが楽しいのですが、印象的なのがラストシーン。それまでとは違う世界にいる彼女を表現するため、ニットが柔らかなニュアンスを伴って一役買っています。
涼子にとってチャネとの出会いは、どんなものだったのか―。一言では言い表せない人生の宝物が、ちゃんと複雑なまま、何本もの糸が絡まって描かれている…そんな大切な記憶の映画です。