毛糸だま2018年冬号より
<本記事に記載されている情報は2018年11月当時のものです>
ある監督がインタビューで、こう言っていました。「僕、"熱演"って嫌いなんですよ。だって熱演て言われている時点で、それが演技だとバレているわけじゃないですか」。言い得て妙。演技であることを忘れさせるぐらい、自然でなじんでいるのがいい、というわけです。
9月に亡くなられた樹木希林さんの演技が毎回楽しみだったひとつは、その人物のどうにもごまかせない、染みついた匂いのようなものが細やかに再現されているところでした。その人がどんな土地のどんな家で、どういう人たちと暮らしてきたのか。話し方や歩き方を「作った」だけでは醸し出せない、無意識に滲み出てしまう匂いのようなものが、演じる「おばあさん」によって絶妙に違って宿っていて、登場するだけで、その人のそれまでの人生を感じさせる説得力にシビれていました。
例えば、社会の底辺で暮らしている『万引き家族』のおばあさんの生活臭、『モリのいる場所』で演じた画家の妻の世間に染まらない、ちょっと天然なチャーミングさ、是枝裕和監督のお母さんがモデルと言ってもいいだろう『歩いても歩いても』や『海よりもまだ深く』の母という存在の時折、周囲をドキッとさせる鋭さと揺るぎなさ。どの役にも、その役や作品だけに閉じない普遍性があって、「こういう人いるなぁ」と私たちのまわりの"該当者"を思わせるリアリティがありました。
そんな細やかなリアリティは、どう生み出されているのでしょうか。その一片が感じられたのが、『海よりも』の公開時に是枝監督とお二人でインタビューにお応えいただいたときのこと。ひとつの鍵は「冷蔵庫の高さ」だというのです。
この映画の樹木さんは夫を亡くし、公団マンションでひとり暮らしをしています。台所の流しの前に置かれたダイニングテーブルと椅子が彼女の定位置。一家の主婦、「お母さん」というのはかなりの魔法使いで、大抵の場合、2つ以上の物事を同時進行します。喋りながら立ち上がって冷蔵庫を開けたり、外を見てまた話したり。再現しようとすると難しい一連の動きを、樹木さんは自らの城である冷蔵庫を前に、長年そうしてきたかのように見せてしまう。そのためには、目をつぶっていてもわかる、自然に手を伸ばして届く「冷蔵庫の高さ」が大事だというのです。
お母さんが冷蔵庫に手を伸ばす、見慣れた日常のワンシーン。誰かが亡くなって、遺された側がふと思い出す「その人」は、そうした何気ない「残像」だったりします。そういった無意識下に焼き付く、その人の日常の「気配」をスクリーンによみがえらせる役者の微調整。そこに、熟練の職人のようなものを感じて、うれしくなったのでした。
映画の衣装のサイズを、樹木さんは自らの手で微調整していたという話を聞いたことがあります。手仕事には、言葉や数値で説明できない案配というものがある。それが、その人自身といってもいい「独自の案配」。怖くなるような厳しさと、底抜けに深い温かさを感じさせた名優の微調整に、そんな案配を思い、今もその気配を感じます。
『歩いても歩いても』 (2008)
監督・脚本:是枝裕和
是枝裕和監督が、自身の母亡き直後に、母への思いを込めて撮った作品。
DVD 3,800円+ 税 販売元:バンダイナムコアーツ
『モリのいる場所』(2018)
監督・脚本:沖田修一
画家・熊谷守一と、その妻・秀子の夏の1日を描いた作品。
DVD 3,800円+ 税 販売元:バンダイナムコアーツ
『万引き家族』(2018)
監督・脚本:是枝裕和
カンヌ国際映画祭パルムドール受賞。万引きで生計を立てる家族の物語。2018年6月8日劇場公開。