今回のゲストは「ニッティングバード」で幅広い活動を行う田沼英治さん。生まれ故郷は群馬県太田市。
「ニットや繊維の工場が多い地域で育ちましたが、工場の衰退を見る中で、何かできないかと。ニット専門のウェブマガジンを立ち上げて、ニット工場の現状を伝えたのが、ニッティングバードの最初の活動でした」
その思いが今も活動のベース。ロンドンでファッション全般を学び、工場に依頼するアパレル側・依頼される工場側、両方の視点がわかるから見えてくる問題点があるのです。
「デザイナーとして活動した時期もありましたが、それ以上に日本の現状を何とかしたい。ニットを仕事にする人を増やして、文化として高められないかという思いがあります」
編み物が文化として社会に根付いているロンドンにいたことで、日本の問題が見えるところもあったよう。
「日本はハンドニットで有名な方はいますが、工業ニットを専門にやっている人はアパレルにも少ない。そもそも服飾系の学校にニット科が少ないんです。元を辿れば、編む仕事に対しての報酬に改善点があるのではないかと。
ニット工場は春夏が閑散期で、その問題もあります。子どもたちが将来の仕事を考えた時、ニットが選択肢に挙がるような社会になるように、今できることをしたい」
工場には知られざる問題が色々。
「例えば、ニット工場は年間、数トンの糸を有償で廃棄しているんです。その糸を買い取り、引き揃えて『一期一会糸』として販売しています」
糸の企画・開発はニッティングバードの核となる事業。そもそも1本の糸から、テキスタイル、パターン(成形)、服のデザイン…あらゆるものが生み出せるところが、編み物に惹かれた魅力なのだといいます。
「糸というと手芸のほっこりした温かさが思い浮かびがちですが、今は有名ブランドが工業ニットの機械でスニーカーを作っていて、編んだ時は柔らかいのにスチームを最後にあてると堅くなる熱癒着の糸を使っていたり、医療用の糸もですが、化学的な進化がめざましいんです」
手編みや工業ニット、様々な手法を網羅しているからこその活動も。
「今、昔の家庭用編み機が欲しい人が意外と多いのですが、押し入れに眠ったままの人も割といるんです。その両方をつないだ中古販売を2年前から始めました。編み機を覚えると、ニットを仕事にできますから」
最近、しみじみ感じているのが、「編み物には大切な思いがこもるということ。以前、亡くなったダンナさんが着ていたニットを自分で着られるサイズにしたいという女性がいて。大事なニットを裁断するのは忍びないということで、工業機で編んだニットを一度、全部糸にほどいて家庭用編み機で編み直したんです」
対価以上に、人生の思い出が詰まったニットに関われたことが嬉しかったそう。「編み物を通して社会が豊かになれば」と田沼さん。ニットにまつわる様々な立場や手法を理解しているからこそできること。
精度の高い活動、今後も要注目です。
田沼英治:たぬまえいじ
ニット専門のウェブマガジン「Knittingbird」主宰。20歳で渡英。ニットデザイナー クレア・タフに師事。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション、東京ニットファッションアカデミーなどで学ぶ。ニットデザイナー、手編み講師。NHKすてきにハンドメイド出演、 京都精華大学ポピュラーカルチャー学部ファッションコース非常勤講師として大阪を中心に活動。