ブッフ・デユ・ノール劇場
いよいよ西アフリカの旅も最終回。
パリに戻って来た。
初めて日本からパリに到着した折りに、舞台劇『マハーバーラタ』の音楽監督兼演奏家として滞在中の土取利行さんと、彼の友人を通して知己を得ていた。再会すると、採録したテープを聴きたいとのリクエストがあり、一日アパルトマンを訪ねることとなった。
ショパンやマリア・カラスなどの音楽家たちが多く眠るペール・ラシェーズ墓地を背にした陽だまりの静かな一室で、友人たちと共に旅の断片にしばし耳を傾ける。ニジェール川のボートでの水音や、バマコの駅ホテル前での『レール・(エレキ)バンド』ライブ。
ポーの町の女性同盟主催のパーティでは、屋外のコンクリートのフロアで踊る大勢の人の摺り足のリズム音。ドゴンの村の日々の音。バンカスでのコンサート、エトセトラ、エトセトラ。カンカン石(サヌカイト)という音色の美しい石や銅鐸を演奏することもある、民俗学的打楽器奏者の土取さんから、「全部良いね」という感想をいただいて、嬉しい和やかな午後のひと時だった。
ブッフ・デユ・ノール劇場で上演される『マハーバーラタ』は、印度の古代叙事詩を元にした三時間づつ三夜連続に及ぶ、ピーター・ブルック演出の大長編劇である。演じるのは多国籍に集結した役者さんたちで、日本からはパリ在住の俳優、笈田ヨシさんも参加。大きな世界観が話題にもなっている。
表通りの近隣の街並みに溶け込んだ古い劇場の入口はさりげなくて、まさか幾重にもバルコニー席のめぐる、吹き抜けの大きな空間が隠されていようとは、予想もしないことだった。ナポレオン3世のパリ改造計画では、街路外観を美しくすることも重要目的で、スケール統一などの配慮もされていたという。
中に入ると、劇場の床張りは古さ故か失われており、土の大地が何と、むき出しのままになっている。セットはなく、土色の壁面と併せて、すでに古代遺跡を訪れたかの雰囲気だ。
上演時には、土の床舞台で火を焚き、水を撒くシーンもあり、敷物に居並んだ、こちらも多国籍民族音楽家の演奏とともに、観客も物語に紛れ込んで行くような、シンプルで素晴らしい演出となっていた。太古の神話のことや宇宙を感じることも多かった、初めての西アフリカ旅行。
ピーター・ブルックの言う『どこでもいい 何もない空間 裸の舞台』という、言葉どおりの稀有な演劇体験は、今回の旅で漠然と感じていた想いとどこか共通する感動があり、このような巡り合わせで旅を締めくくることができた幸せに、改めて冒険の神さまや友人たちに、感謝の気持ちを捧げます。
この初めての旅日記を刺繍する試みは、無意識のうちに、その場所の空気を思い出しながらの作業だったことに気付きました。布、糸、針のことなど何も知らず、仕上がりにも難ありですが、現地の肌合いを少しでも感じていただければありがたく、嬉しいことです。
最後までお付き合いくださいました冒険好きの読者の方々にも、心より御礼を申し上げます。
注 ①
19世紀に建造されたブッフ・デユ・ノール劇場は、1993年に、パリ歴史的建造物に登録。補修もされて、現在もさまざまな公演に利用されています。
注②
この『マーハバーラタ』は日本では1988年に銀座セゾン劇場で上演されました。歌舞伎や他の劇団によりアレンジ制作もされ、今や人気の演目です。ピーター・ブルック(1925-2022)自身も続編を制作し『バトルフィールド』という映画にもなっています。