毛糸だま2020年夏号より
<本記事に記載されている情報は2020年5月当時のものです>
この春、ドラッグ・ストアからマスクが消えた際、身近にある素材でマスクを作る人たちのことが、メディアで取り上げられていました。一方、「不要不急の外出を避ける」ため、家にいる時間が長くなったことで、コンビニのお総菜の売れ行きが伸びているというニュースも同時に目にしました。
生活に必要なものが、ほぼお金で買える現代。だからこそ「必要なら自分で作る」という当たり前の手仕事に、あらためて思いを馳せました。
例えば、こちらのページでもご紹介したことのある映画『バベットの晩餐会』。87年のアカデミー賞で外国語映画賞を受賞したデンマーク映画ですが、この映画の冒頭に印象的な場面があります。主人公の姉妹が、自分たちで編んだ靴下を村のお年寄りたちの家を訪れ、手渡すのです。寒い冬を越すための靴下は、グレーの太い毛糸で編まれたシンプルなもので、必要なものを自分たちの手で作る、当たり前の手仕事の「地に足のついた感じ」に、なんだかホッとします。そして、この場面、必要なものを、別の誰かが、誰かを想って作っているところも素敵だなと思います。
それについては、昨年の12月に公開された映画『つつんで、ひらいて』にも、思うところがありました。こちらの作品は『万引き家族』の是枝裕和監督に見出された俊英・広瀬奈々子監督の初のドキュメンタリー映画。著名な装幀家・菊地信義さんにカメラを向けているのですが、パソコンですべてを行う装幀家も少なくない昨今、自らの手を使って、紙を切り貼りしながら、デザインを「こしらえていく」菊池さんの手仕事の様子が、紙の質感や匂いまで伝わるように切り取られていて、その美しさに魅了されます。
作品の中で、菊池さんはこう言います。デザインという言葉を日本語で言うなら「こしらえる」だと思うと。そして、こう続けます。こしらえるということの先には必ず「誰かのために」という「誰か」が存在するのだと。
誰かのために、こしらえること。手仕事を愛する『毛糸だま』読者の皆さんがよくご存じのとおり、「こしらえる」ことを介する誰かと誰かの間には、なんともいえない温かさが生まれるような気がします。「こしらえて」もらった側は、もちろん温かい。でも、誰かのために「こしらえている」側も、相手と同じか、もしかしたら、それ以上の温かさを感じているように思うのです。便利さや時短をいちばんに考えるのなら、お金で買うことが最速だけれど、手仕事には、もののやりとりだけでなく、そこに人と人との「間」が伴う。ここに生まれるほっこりしたものが、人の心が安定したり、幸せを感じたりすることに不可欠なのではないか…という気がしてなりません。
作らなくても、後ろめたさを感じなくて済む世の中になってきている気がするのですが、自分の手で作れるものは、自分の手で作りたい。そういう当たり前のことに、今あらためて世の中が立ち返っていくような、そんな予感がしているのは、私だけでしょうか。
『つつんで、ひらいて』公式サイト