毛糸だま2020年冬号より
<本記事に記載されている情報は2020年11月当時のものです>
映画が始まると、田中裕子演じるおばあさんがひとり、こたつに座っています。すると、画面のトーンが切り替わる。そこは、主人公・桃子さんの頭の中。彼女がつぶやく独り言に、桃子さんと同じ格好をした3人(宮藤官九郎、青木崇高、濱田岳)が、彼女と同じ東北弁で思い思いの話を始めます…。
そうなのです、3人は桃子さんの脳内の住人。2年前に芥川賞を受賞した小説『おらおらでひとりいぐも』の中で「柔毛突起」と称される、彼女の頭の中で様々な意見を交わす人々。この秋公開される映画では、どこか呑気で、実に楽しげなこちらの3人衆に集約されて、いい味わいを醸し出しています。
長年、主婦として生きてきた著者・若竹千佐子さんの思いが反映されているというこの小説には、女の人が「わかる!」と思うような切実な思いが、よどみなく力強い筆致で描かれています。おばあさんの頭の中だけで展開していく物語を、発想の妙で見事に映画化したのは『南極料理人』や『横道世之介』の沖田修一監督。なんとも言えぬユーモアと温かさで独自の作品を送り出してきた監督ですが、今回も、シリアスになってもおかしくない物語を、予想を覆すアイディアで映像にしていて、思わず吹き出してしまうような、かわいげたっぷりの場面が続きます。その中に、75歳の桃子さんの今だからわかる人生の洞察が描かれているのです。
例えば、こんな感じ。愛する夫に寄り添う人生に幸せを感じて、自らそうしてきたけれど、実は、そのことで自分の人生を生きてこられなかった…。他にも、幼い頃に履かせてもらえなかったフリルのスカートを、よかれと思って娘に履かせたけれど、実は娘はそれが好きじゃなかった。結局、母親にされたのと同じことを娘にしてしまった…。きっと誰に打ち明けられることもない、普通の女性の胸の中でわだかまる強い思い。おばあさんと呼ばれる世代の女性が抱えるこうした思いに、ここまで真摯に迫った作品は、小説としても映画としても珍しいのではないでしょうか。
そんなリアルかつユーモラスな映画の中で、気の利いた効果をもたらすのがニット。冒頭の桃子さんの脳内の会議シーンでは、全員が同じニットベストを着ていて、ほっこりかわいい色×模様が、観る人の心をほどきます。また、桃子さんの若き日のシーンでは、友人のときちゃんがグリーンの衿つきニット、若き日の桃子さん(蒼井優が演じています)がお花モチーフの白いパフスリーブ風ニットを着ていて、おお!どちらも昭和のおめかしニット!と懐かしの良品発掘的な気分に包まれます。
おじさんやおじいさんを見つめる視線もやさしい沖田監督ですが(『モリのいる場所』もいいです)、おばさんやおばあさんを見つめるまなざしもまた温かい(『滝を見にいく』もオススメです)。夫を亡くし、ひとりになった女性が人生を反芻する脳内の旅。主婦として生きてきたひとりの女性の中に、どれだけ豊かな時間が流れ、どれだけ激しい葛藤を抱えてきたか。壮大でやさしい心の旅、一緒に出かけてみませんか?