

きっかけの話
カリブ海篇の次は全く異る文化圏、シルクロードの十字路、アフガニスタンでの体験記へ。
中国から古代ローマなど地中海世界へと運ばれていった、絹の道のルートとして有名ですが、ギリシャやペルシャ、インドなど、東西南北の人や文物が行き交い影響しあった、複雑な文明の交差点でもあります。
パレットに並ぶ色の混淆から新しい色が生まれるように、奥深く輝かしい歴史を持つ古い国。
まずは『きっかけの話』から始めようと思います。
時は1976年。
ヒッピー文化の象徴のような、ロンドン発カトマンズ行きの直行バス便、通称『マジック・バス』が、アフガニスタンを経由してまだ運行されている、平和な頃のことでした。
バーミヤン大仏の天井画。古代ギリシャやインドなどの神々が大仏を守護
ラピス・ラズリの運搬人
「闇夜にこいつと焚き火をしていると、土漠の向こうから馬のひずめの音が聞こえてきたんだよ。段々近づいてくるから、何者なんだと不安だろう。大声でチャイを勧めてみたんだ。光の中に現れたのは、眼光鋭い黒いターバンの男だった。男はチャイを受けとり、ラピス・ラズリの運搬人だと言ったんだよ。
静かに一杯のチャイを飲み干すと、彼は袋からラピスを数個取りだして俺の手に握らせ、『アッサラーマ( 神の加護を) 』と、ひと言だけ言い残して馬に乗り、光の輪から出て消えて行ってしまった。 暗闇に、ひずめの音だけがゆっくりと遠退いていったんだ」
貧しいけれど平和だった、歴史豊かな国、アフガニスタン。
70年代初めのころ、大学時代に何度も彼の地を訪れて、すっかり騎馬民族のようになっている同世代の友人たちがいた。
彼らの東京の棲家には、精巧な手織りの絨毯、ハザラ族(蒙古系の遊牧民) の原毛フェルトのカーペット、駱駝や馬やテント用の頑丈で美しい帯状の織物、細かな刺繍やビーズ飾りをほどこした帽子や小袋 (裏地はロシア更紗)、不思議な動物が彫刻された重たい鉄のバックルや短剣ホルダー、遺跡で見つけた青い陶片、古銭、ラピス・ラズリの装身具、楽器、などなどがバザールの小店のように部屋中に満ち溢れているのだった。
美しくも手の込んだ、見たこともない魅力的な異国のものに囲まれて、繰り返しこんな話を聞かされているとどうなるか?
誰しも、その冒険の地に行ってみたくなるに違いない。想いを募らせていると、願ってもないチャンスがやってきた。
仲間の1人から、「イスラマバードまで迎えに行くよ。」と、便りがあったのだ。赴任先のアラビアから、休暇でアフガニスタンに行くので案内してくれるというのである。
かくしてわたくしは旅人となった。まだ学生気分の抜け切らない20代。居ても立っても居られなかった。
騎馬の民(ジョセフ・ケッセル著1972年刊)
【ラピス・ラズリ】
群青色の貴石。古代よりアフガニスタン原産で、和名は「瑠璃」。ツタンカーメンのマスクにも使われているように、エジプトや、ヨーロッパ、中国などでも珍重されていた。正倉院にも聖武天皇の『紺玉のベルト』(奈良時代) が収蔵されている。また、金よりも高価な青色の絵の具、フェルメールも愛用したウルトラマリン・ブルー(海を越えた青) はラピス・ラズリから作られている。
手芸、お料理本のスタイリスト。『毛糸だま』誌も担当中。趣味は、旅、音楽、手仕事。




