

阿修羅の草履
赴任しているアラビアから、モヘンジョダロ遺跡探訪のあと、イスラマバード空港に迎えに来てくれた友人は、彼の地で灼熱に焼かれてグロッキーだったそうだが、現地の人々に溶け込んで違和感がないのだった。
到着の人と出迎えの人とで大混雑のロビーは、国際空港というよりもむしろ、人気のバザールにでも居るかのような熱気と親密さに満ち溢れている。
トランスファーの入国手続きを終え、喧騒を逃れて南国の木々に囲まれて鬱蒼とした外庭へと向かうと、ガラス扉を出てすぐの所に、オレンジ色の袈裟の僧侶が一人、静寂を纏って佇んでいた。
興福寺の阿修羅像や十大弟子の像と同じように、板の草履を履いている。
その前方にはフロアに平伏し、一輪の花をささげ持つ2~30人の出迎えの人。いずくより帰還された高僧であろうか。
芳しい静けさに満ちたその一画から、人々の美しい想いが穏やかに伝わってくる。
麗しのガンダーラ仏の生まれたのはこの地域、近くのペシャワールからアフガニスタンとの国境周辺であり、大規模な仏教遺跡が、世界遺産登録されて数多く残っていることでも有名である。
思いがけない、映画の中にでも入ったような光景に心を奪われながら我々も、現実となった異国での再会を祝いあう。
サファリ・ジャケットもすっかり身体に馴染みきり、日焼けでピカピカ顔の友人は大学の探検部出身。そのクラブの団長が起こした都市計画事務所のアルバイト同志として、まだ在学中だった我々は出会ったのだ。というよりも、彼は事務机の下で、寝袋に入って寝ていたのだけれど。
興味津々の5000年前の古代都市、モヘンジョダロ遺跡の事を訊ねると、意外な返事が返ってきた。
「遺跡では急な砂嵐に襲われて、眼球に棘が刺さった!近くの田舎の病院に行ったところ、突然最先端のハイテク治療椅子に座らされて驚いた」
「眼球に迫りくる機器を見ないわけにいかず恐怖だった。 経済援助で最先端の医療機器が僻地の病院に届くことがあり、先進国の病院よりも設備のレベルが高い場合がある」
とのこと。
現地調査を仕事としているとはいえ、太古の遺跡においてもこのような貴重な体感リポートのできるのは、さすが探検部の本領発揮!
想像するだに恐ろしい、大変に気の毒な事件ではあったものの、兎にも角にも大事なく過ぎてよかった、よかったと、大きく胸を撫で下ろす。
久々に聞く、少林寺拳法の摺り足歩行も懐かしい、今は頼もしき、我が旅の先立ちである。
ここから山脈を越えると、いよいよ物語の国。気ははやるが、簡単にアフガン行きの飛行機に乗り継げる訳ではなく、イスラマバードで気流待ちをするのが、スレイマン山脈越えフライトの常道なのだった。
友人旧知の『ミセス・デイヴィス・ホテル』に投宿し、空港から届くフライト案内を待つという。
英国式のノスタルジックなホテル名が、新米旅行者の旅情と妄想をロマンチックにかきたてる。
手芸、お料理本のスタイリスト。『毛糸だま』誌も担当中。趣味は、旅、音楽、手仕事。




