毛糸だま 2017年夏号より
<記事中に出てくる情報は本誌掲載当時のものです。>
ヨーロッパのヴィンテージの白いパジャマやブラウスが好きで、旅先でサイズが合う物に出会うと自分用に買い求めています。何枚も持っているのに見つけるとまた手に入れたくなります。それらには白い生地に白い糸の細かいステッチ、赤糸で刺したワンポイントのモノグラム、レース編みの縁取りや、ペタンコの白いボタンが控えめに使われていたりします。本来はパジャマや部屋着でも、白いブラウスとして着て楽しんでいます。
どれも自分のために「作る時間」を楽しんだ洋服です。使われているペタンコのボタンがまた可愛くて、麻で作られているものもあれば、糸でできているものもあり、このボタンは一体どこで作られているんだろうと思っていました。ある買い付けの旅のこと、プラハの手芸店で糸のボタンが売られているのを見つけました。これだと思い、私の糸ボタン探しが始まりました。10数年前のことです。
糸ボタンの歴史を辿ってみましょう。18世紀にイギリスで生まれた「ドーセット」と呼ばれるハンドメイドのボタンがあります。19世紀後半になり、教会関係者によってこの地にドーセットボタンの作り方が伝えられました。当時は羊の角を丸くくり抜いたものに粗い綿の糸を巻き付けて、一つずつ手作業で作られていました。やがて農家の冬の仕事や職人の合間仕事として根付いていき、イギリスやヨーロッパ向けに輸出するようになります。そうして機械を取り入れて手作業を減らす方法が求められるようになりました。
チェコの東部のこの町で、産業として糸ボタンの生産を本格的に始めようと、スレシンガーという名前の男性がミシンを使った糸ボタンの作業所を造りました。1924年のことです。その後工場は、場所を移したり、国営化されたり、規模を大きくしたり縮小したりを経て、1991年に再スタートを切ります。
チェコの東部、イーグル山の麓の町で作られる伝統的な糸ボタン
まるで車輪のような糸のボタン。フクロウの目のようにも見える糸のボタン。グルグルの糸はどうやって巻かれていくの?2色使いのボタンもあって、それはどうやって作っているの? チェコからボタンを取り寄せるたびに、その可愛さと作る過程を見たいと思い、工場を訪れたのは2013年のことでした。
糸ボタンの会社はチェコの東部の小さな町にあります。アルミニウムのリングに綿糸をグルグルと巻き付ける方法を基本に、主にミシンを使って手作業に近い行程を経て作られています。
「社長が車で迎えに行きます」と連絡をもらい、駅でポツンと待っていると若い男性が二人で来てくれました。イメージしていた「社長」とは違う雰囲気に驚きつつ車へ。小一時間のドライブの道すがら彼らが自分たちのことを話してくれました。社長はアメリカで経営学を学んできた田舎暮らし好きのもの好きで、まだ30歳代。もう一人はイギリス暮らしの経験のあるマネージャーで彼もまだ若い。二人で知恵を出し合い、糸ボタンの会社を育てているそうです。今日はいろいろ見せるから意見が欲しいのとことでした。
工場の中に入ると、ミシンを踏むダダダー、ダダダーという音が響いています。古いボタンのサンプルカードが飾られている壁を見ながら、階段を上がって2階へ。ミシンの音が漏れてくる部屋へ入ろうとすると笑われ、そこは最後の方の工程だよ、こっちからどうぞと言われて入った部屋は、手芸とは関係のない機械やオイルのにおいがする薄暗い部屋でした。
糸ボタンの作り方は、銀色の薄い金属板を「抜き」の機械を通して丸いリングを作ることから始まります。材質はアルミニウム。横にある袋にはリングがじゃらじゃらと入っていて、これをドラムに入れて回し、細かい角とオイル、汚れを落とします。大きな糸の枷からミシンにかける量の糸を巻き取ります。糸ボタン専用の工業用ミシンに糸をかけ、台にリングをセットしてミシンを踏むと、リングの回りを糸がグルグルと回り、糸が巻き付いた丸いものができます。
次のミシンにはボタンの大きさの穴が数個開いた円盤があり、この穴に糸が巻き付いたボタンを置きます。ミシンを踏むとボタンが回って針が動き、リングのすぐ内側を丸く縫うような感じで糸が入ります。ボタンが1回転して糸が丸く入り終わると円盤が少し動き、針のところに隣のボタンがきます。このようにしてリングの内側にステッチを入れることで、リングに巻き付いた糸が動かなく、ほどけなくなります。切った糸を内側に入れて始末をしてボタンのできあがり。つまり、糸を巻き取る機械やミシンを使って、人が一つずつ縫うように作っているのです。
ミシンは会社の創設者であるスレシンガー氏がそろえたもので、それは1924年のこと。以来ずっと同じミシンを使い続けているそうです。ここにはメンテナス担当のおじさんが一人だけいます。彼の仕事場はボタンを作っている部屋よりも広い一室で、動かなくなったミシンが何十台と置いてあります。壊れたミシンから修理に必要なパーツを取り出して使うので、全部のミシンを「いつか」「そのうち」のために保存しています。100年ほど前の古いミシンは造りがシンプルなので、定期的にメンテナンスをすればまだまだ動くとのこと。
作業の効率を優先し、精密に設計された流れ作業の機械だとこうはいきません。糸ボタンの会社が今も存続し得る理由の一つは、便利すぎない機械にもあると思いました。おじさんは「この部屋はミシンの墓場。壊れたミシンをここに持ち込んで僕の手にかかると、ゾンビみたいに蘇るんだよ〜ハハハ」と、オドロオドロとした口ぶりで、自慢げに語ってくれました。
糸ボタンの可能性
糸ボタンはもともとは、シーツや枕、パジャマ用のボタンとし使われていました。ボタンには足がなく厚みがありません。ペタンコなので当たっても痛くありません。寝具回りのものに適しています。綿糸を使用していて丈夫、洗濯やアイロンもOKです。ボタン会社の一番のお得意さんは、シーツがたくさん使われる場所、つまり病院やホテルだったそうです。ところが最近のシーツにはジッパーが使われるようになり、糸ボタンの出番が減ってしまいました。
みんなでアイデアを出し合います。ボタンだけど他の使い方はないかとか、どうやったらもっと良く見えるかなどを考えます。この会社のボタン作りの強みは、人の手が関わる頻度が高いということ。面倒だけど手を止めて、ミシンにかけてある糸を付け替えれば、違う色のボタンが作れます。色のバリエーションを増やそう。巻き付ける糸を2色使いにして、複雑な見え方のボタンにしよう。作るのを止めてしまった小さいサイズを復活させよう。作ったことのない大きなサイズにも挑戦しよう。袋にまとめて入れているけど、ボタンがかわいく見えるように昔のように台紙に縫い付けよう。ボタンをきれいに並べるだけでも何か飾りになるのでは?こんな試行錯誤を繰り返し、今では趣味やデザインの分野で糸ボタンの可能性が広がり始めています。
雑貨店チャルカ店主もチェコの糸ボタンに魅せられた一人です。10年前は、白やナチュラルを中心にベーシックな色と使いやすいサイズを選んでいました。シャツやカーディガンなどの洋服のボタンとして実用使いの提案が主でした。そのうち自分でビーズやガラスボタンを使ったアクセサリーを作り始めると、糸ボタンがおもしろい素材であることに気づきます。リングの内側は糸だけなので、どこでも針が通ります。ボタンとして使うときは、真ん中の糸が集まっている膨らみをすくうように糸を通し、足を作ります。ボタン同士を縫い合わせてつなぎ、ブローチにするのもおすすめです。
リングの内側にアクセサリー用の丸いカンを通せば、いろんなパーツと簡単につなぐことができます。軽いのでたくさん用いても大丈夫。大小の様々な丸がつながってできていくブローチなどを見ていると、丸い形は永遠のモチーフなんだと改めて思いました。
伝統と文化を守り、伝えるために
糸ボタンを作る会社は町の大切な産業です。さらにマシーンメイドの糸ボタンを作っているのは、ヨーロッパの中でも今やほぼこの会社のみになります。オーストリアにあった会社は2011年に閉鎖し、その後規模を小さくして再開しましたが、量産体制ではありません。チェコのこの会社も何度かオーナーが代わっています。
若き社長が熱く語ってくれました。
「昔ながらの方法で伝統的な糸ボタンを作り続け、さらに進化させることにやりがいを感じている。この町の人の暮らしの一部を守ることと、文化や伝統を次に伝えることができる、素晴らしい仕事」と考えているそうです。
彼の話は続きます。
「ミシン仕事は簡単なようで集中力を必要とするハードワーク。やりたい人がなかなか集まりません。休憩時間を十分とり、環境を整え、助け合い、続けていける体制を作ること。それが僕がここにいる理由」と。
そして、ミシンで糸ボタンを作りはじめた初代の社長、スレシンガー氏への敬意と感謝の言葉を何度も口にします。周りではミシンを踏む女性たちが、頼もしい人を見る目で彼の話に頷いていました。
そんな彼の周囲には人が集います。近くに住む女性がハンドメイドのドーセットボタンを作るようになり、会社で彼女のボタンを売り出すことにしました。
全て手作業のボタンは刺しゅうや編み物をするような感覚で、機械ではできない模様、色合わせが可能。ハンドメイドならではの風合いが魅力で、ドイツから注文が入るそうです。あるデザイナーは、糸ボタンでオブジェの制作を考えているそうです。キャンバスにグラデーションの糸ボタンを張り付けて、モダンな家に似合うアート作品を制作したいのだとか。糸ボタンの新しい道は始まったばかり。ペタンコで使い勝手の良い優しいボタン、手芸愛好家への魅力的な素材の一つ、デザイナーを惹きつける丸いパーツ。チェコのイーグル山の町からどこまで広がっていくのか、これからが楽しみです。
取材・現地写真・文/久保よしみ 写真/森谷則秋 編集協力/春日一枝