世界手芸紀行

【スザニ】ウズベキスタン共和国 砂漠のオアシスで生まれた鮮やかな刺繍

公開日 2022.09.12 更新日 2023.08.10
ライター=中山富美子

コラム
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中山富美子
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毛糸だま 2017年春号より

<記事中に出てくる情報は本誌掲載当時のものです。>


シルクロードの始まりは、紀元前6世紀「ダリウス王の道」といわれ、続いて「アレキサンダー王の道」へ、そして漢、唐、ササン朝(イラン系)やモンゴル系のティムール帝国は西アジアにまで広まり、野望を持った権力者達の夢のあとは、次々と再生があり、経済、文化の中継地として栄えました。特にウズベキスタンのブハラはオアシスの町として、キャラバンサライ(隊商の宿)や大バザールがあり、東西の人々の往来により、兵士、宗教家、商人、音楽家、職人、芸術家が往来し、ボーダレスの文明が花開いたのです。このブハラを中心にイスラム文明を始め、新しいデザインが生まれ、染色工業、刺繍は盛んになりました。


プロフェッショナルの作る工芸はますます磨かれ、織り、染色、特に絣文様の華やかで大胆なデザインは他に見ることはありません。また、絣は普通の平織りですが、綾織り、繻子織り、琥珀織り、ベルベット織りなどがあり、その時代の人々はどれほど着道楽を楽しんだことでしょう。この場所に思いを馳せるようになったのは、30代の終わり頃に手にしたドイツの出版社が出した手工芸の本でした。


画像1オアシス都市、ヒバのミナレット(イスラム教の礼拝時刻を知らせる塔)


スザニとの出会い


京都の書店で手にしたドイツ語で書かれた5冊のシリーズ本。1945年から5年以上かけて出版されたものでした。この本には世界各地の紋様が紹介されているのですが、その中にブハラというオアシスがある地域の刺繍として紹介されていた、花と唐草模様の美しい刺繍に魅了されました。ブハラってどこだろう? どのようにして作られているんだろう?この場所に行って、実際に刺繍をしているところを見たい、と強く思いました。私が知った当時は、ウズベキスタンは旧ソビエト連邦領であり、ウズベク・ソビエト社会主義共和国という国名でした。1991年のソ連崩壊により、ウズベキスタン共和国として独立しました。


初めて本物のスザニを目にしたのは、フランスのパリ最大規模の蚤の市「クリニャンクール」でした。ずっと気になっていた、あの刺繍だ、と思い、そこで小さなスザニを手に入れました。すると、もっと素晴らしいスザニがあると、美しいペルシャ絨毯やトルコのマットなどを扱うショップを紹介されました。その中にあこがれのスザニのタペストリーを見つけたのですが、価格が500万と言われ、さすがにそれは買えませんでした。ですが、スザニを間近で見ることができ、ますますスザニの本場であるウズベキスタンに行き、刺繍をしている現場を見たいと思う気持ちが募っていき、情報を集めるようになりました。


王侯貴族から庶民にまで愛されるスザニ


スザニとは、「布を刺す」というウズベキスタンの語源からなる手刺繍の布のことです。屋内に引きこもることの多かった女性たちの手によって、美しい刺繍が生まれ、18〜19世紀にかけて、宮廷を中心にした金糸刺繍と、庶民を中心にした色糸刺繍(スザニ)が盛んに作られました。金糸の刺繍は現在も作られていて、男女とも、特別な日に晴れ着として身に着けることが多いのですが、14世紀のティムール帝国の時代には、本物の金が使われ、刺し手は貴族や富裕な人々から手厚い庇護を受けたということです。


一方、庶民のスザニは花嫁道具として不可欠なものとして伝わりました。ウズベキスタンやタジキスタンのオアシスなどに定住している人々は、ほとんどイスラム教の人々で、女性は家にいることが多く、民族の証として代々継承されるスザニが生まれました。


画像2スザニを売りながら、スザニを刺繍している店


そんな花開いたスザニ文化ですが、19世紀後半にロシアが中央アジアを次々に占領していき、ウズベキスタンもその支配下に置かれ、古典的なスザニの制作が途絶えていきます。スザニは海外へ販売するためのものとして制作されるようになり、またこの頃から天然染料に代わり、合成染料の糸が使われるようになりました。


ロシア革命後、ロシアに代わってソビエト連邦の支配下に置かれるようになると、スザニはさらに大量生産されるようになり、刺繍ミシンを使ってのスザニも作られるようになっていきました。貴重で伝統的なスザニは海外に流出して、コレクターの間で取引がされるようになりました。この貴重なスザニを早く見たい。焦がれるような気持ちで、2002年、ついにウズベキスタンへと旅立ちました。


画像3壁掛け用の大きなスザニを刺繍している。販売用の商品になる


思い焦がれたウズベキスタンへ


ウズベキスタンでは、サマルカンドにある工房や市場などに行き、実際に刺繍をしているところを見学しました。


画像4サマルカンドのバザールで、スザニを販売しているウルグッドの女性。多くのコレクションを持つ


スザニに用いられる生地は、木綿、麻、絹などで使う刺繍糸は、絹糸や木綿糸です。技法として特徴的なのは「ブハラ・コーチング・ステッチ」です。びっしりと面をこのステッチで埋めていきます。コーチング・ステッチの「コーチング」は「伏せる」という意味で、模様の端から端まで渡した糸を適当なところで、短いストレート・ステッチで留め付けていくステッチです。ブハラ・コーチング・ステッチは、留め付けるステッチを斜めに渡すのが特徴的です。ボスマステッチとも呼ばれるようです。甘い撚りで太めの絹の刺繍糸を使っているため、仕上がった刺繍は艶やかに見えます。


画像5ブハラの壁飾り。くるみとペーズリーが、ブハラ・コーチング・ステッチでびっしりと刺繍されている


他には、オープンチェーンステッチやチェーンステッチ、クロスステッチ(イロキ)などが使われています。チェーンステッチはかぎ針を使って刺していきます。


画像6儀式用の馬の鞍カバー。ハーフクロスステッチ(イロキ)で刺繍されている


糸は天然染色の糸を使うこともあります。19世紀までは天然染色が普通に行われていたのですが、ロシア帝国の支配下に置かれた時に、その技術がいったん途絶えました。それが、近年また復刻しているのです。


画像7天然染色の木綿の刺繍糸。いろいろな植物から染められている


刺繍の制作は全て女性が行い、下絵を描くのも女性です。インクで布に刺繍の輪郭を描いていきますが、下絵が描けるのは熟練した職人のみです。


2002年に初めて訪れてから、その後も2年おきに行き、計4回、ウズベキスタンに行きました。何度行っても新鮮な感動があります。


画像8スザニの下絵を描いているところ


地域色豊かなスザニ


スザニの紋様はゾロアスター教(イランの拝火教ともいわれている)などの宗教観にルーツがあるといわれ、古代の紋様と共通するところがあるといわれています。私は以前、拝火教のルーツの山、川をイランに見に行ったことがあるので、スザニの紋様には特別な思いがあります。


スザニは地域ごとにデザインに特徴があります。その特徴を挙げてみますと、オアシスとして栄えた古都ブハラでは、イスラム系の花飾りやパルメット(ヤシの葉の紋様)、草の茎や渦巻き紋様など華麗なものが見られます。ウズベキスタンの首都、タシケントのスザニは赤が多く、アイ・パラクと呼ばれる古代の宇宙観を象徴するような丸模様が特徴です。


「緑の町」という意味を持つ、シャフリサブスは、ティムール王朝の影響を受けた名残が今でも色濃く残り、花や灌木が明るい色彩でスザニに表現されます。シルクロードの「青の都」といわれる古都サマルカンドのスザニでは、うっそうとした葉に花飾りをあしらった、オアシスをイメージする個性的な紋様をよく見かけます。中には不明解なものもありますが、いずれもスケールのあるものが多く、見ていて心が豊かになります。


画像9ウズベキスタンの中にある自治共和国、カラカルパクスタンの女性の正装用ベール。ブランケットとチェーンステッチが施されている


太陽、月、流水、樹、花、実、種、蔓などが多く、動物、人間などはデザインの中には入っていません。イスラム教なので、個人崇拝のデザインや偶像を描くことは厳しく否定しているので、デザインは限られています。ですが、家族が健康でありますように、子宝に恵まれますように、長生きできますように、豊かな生活が続きますように、などの願いが紋様には込められています。


画像10ウルグットのスザニ。客人を迎えるためのマットで、ティーポットが刺繍されている


ウズベキスタンのスザニは、大きく分けると一定の地域に定住する民と、定住せずに遊牧する民(ラカイ)のものに分けることができます。定住する地域の家では、壁飾りも大きく、また客人を迎えるためのマットなども用意されています。ラカイ族は遊牧民なので、移動式のテント(ユルタ)で使うのに適した刺繍布が存在します。


画像11カルカラパクスタンにある博物館に展示されているテント(ユルタ)の内部


テントの支柱はとても大事なものなので、移動する時には、目立つように支柱に旗のような小さな飾り布をつけ、テントが建ったら、それをテントの中に飾ります。また、昼間はテントの中に寝具を壁面に重ねておくので、その寝具に刺繍布をかけたりもしていたようです。


画像12遊牧民のラカイ族のテント飾り


ラカイ族は他民族から敬遠されていたようで、女性たちは孤独の中で自由に自己表現ができる刺繍で心を満たしていたのではないでしょうか。デザインも色彩も魅力にあふれ、ラカイの刺繍は小さくても異彩を放っています。いずれの紋様も神への祈りや家族の絆を表したものが多く、この地の人々の、信仰や伝統の謎解きをしたくなるような興味をそそられます。


画像13ラカイ族の魔よけの壁掛け。テントの中に飾られた


母の愛がつまったスザニ


かつては、女の子が生まれると、母親はその子の結婚にそなえてスザニを刺し始めました。2メートル以上もある大きなタペストリーやクッション、ベッドカバー、礼拝用大タペストリーなど、最低でも10枚は作りました。


画像14タシケント近郊に住む家族。少女の頃から刺繍をしている


婚期が近づくと、家族中、近所の人たち、親戚の女性も手伝ってスザニを作ったそうです。外出することが少ない女性たちにとっては、スザニのために集まる場は、おしゃべりをして和む数少ない機会でもありました。今でも、婚礼用にスザニを用意しますが、現代スタイルでは、手刺繍よりもミシン刺繍のほうが主流のようです。


画像15軒先で刺繍をする女性たち。おしゃべりしながら楽しい時間


スザニ作りは、結婚の時の持参品として、母親のセンス、神々の信仰や民族文化、家族の愛がぎっしりつまった大切な芸術への帰依だと思います。時間をかけ、作り上げるステッチは美しく、伝統に母の創作を少し加えた見事な作品となり、そのスケールの大きさに驚きます。できればずっと続けてほしいと思います。



取材・現地写真・文/中山富美子 写真/森谷則秋 編集協力/春日一枝

中山富美子
ライタープロフィール / 中山富美子
滋賀県生まれ。京都市在住。ファッションデザイナーを経て、ヨーロッパ刺繍、ビーズ刺繍、モラ、パッチワークなどの広い分野で活躍。モラを始めとする世界の手工芸、テキスタイルのコレクターとしても名高い。『旅するモラ 中山富美子の世界』(亥辰舎)など著書多数。中山手芸研究所、ギャラリエナカヤマ主宰。
http://www.mola-style.com/
中山富美子
ライタープロフィール / 中山富美子
滋賀県生まれ。京都市在住。ファッションデザイナーを経て、ヨーロッパ刺繍、ビーズ刺繍、モラ、パッチワークなどの広い分野で活躍。モラを始めとする世界の手工芸、テキスタイルのコレクターとしても名高い。『旅するモラ 中山富美子の世界』(亥辰舎)など著書多数。中山手芸研究所、ギャラリエナカヤマ主宰。
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