毛糸だま 2017年秋号より
<記事中に出てくる情報は本誌掲載当時のものです。>
草原世界へと誘う刺繍布
「モンゴルの西端にカザフ人が住んでいるんだよ」
モンゴルもカザフも、その違いどころか、存在すらよく知らなかった私が、大学の先輩から聞いた話になんとなく興味を惹かれ、思い切って渡航したのは2008年の冬のこと。モンゴル国の最西端に位置する地域、"バヤン・ウルギー" に立っていました。周囲をアルタイ山脈という美しい山々に囲まれ、豊かな大自然に恵まれたその土地には、"カザフ人" が牧畜を営みながら暮らしていました。
そこへ行くためにツアーに参加したものの、極寒の中で体調を崩し、何も見られずに帰国。リベンジ旅行は2009年の秋。その時も出発直前に足を骨折し、結局車椅子で動くはめになってしまいました。
「ご縁がないのね」と、落胆していた私を見た案内役のカザフの女の子が、動けない私のためにある1枚の大きな刺繍布を持ってきて、目の前で広げてくれたのでした。
「これ、おばあちゃんが作った布なんだけど…欲しい?」
独特の鮮やかな色使い、くるくるとした曲線的な形の文様、布にしみ込んだ草原のにおい、作り手の人柄と気持ちが感じ取れる細やかで美しい刺繍。当時、刺繍のことは何ひとつ分かりませんでしたが、ひと針ひと針丁寧に縫われたその布に惹きつけられて、持ち帰ることにしたのです。
モンゴルに暮らすカザフ人
そもそも、なぜモンゴル国にカザフ人が住んでいるのでしょうか。カザフは、中央アジアに居住する遊牧民族の一集団です。彼らはかつて、カザフ草原(現在のカザフスタン共和国北部からロシア連邦南部)一帯で暮らしていましたが、現在はカザフスタンを中心に、世界各地に点在して暮らしています。これには理由があります。
大草原に生きる遊牧民たちは、誰のものでもない空と大地の狭間で、家畜と草の状態に配慮しつつ移住する生活を送っていました。ところが、時代の流れの中で大地に見えない境界線が引かれるようになると、彼らの暮らしが一変します。カザフ草原には南下を目論んだロシア帝国が介入し、その圧政によってカザフ遊牧民たちの定住化が進められたのです。
定住化によって遊牧文化が失われることを恐れた一部のカザフ人は、住み慣れた故郷を離れることを決断し、安寧の地を求めて移動しました。過酷な移動の末、一部の集団はアルタイ山脈の北麓に辿り着き、そこでようやく安定した生活を得ようとしていました。
ところが、その後国境が画定すると、彼らが行き着いた土地はモンゴルの国土となってしまったのです。混乱状態の中、はじめはモンゴル人との衝突もありましたが、やがてモンゴル人はその土地を "カザフの土地" としてカザフ人に与え、モンゴルの国民として受け入れたのでした。
つまり、モンゴル国に住むカザフ人は、自分たちの文化を守るために故郷を離れ、激動の時代を生き抜いた人々の子孫なのです。モンゴル人とカザフ人はお互い遊牧民族である点は共通していますが、それぞれ異なる言語を母語とし、異なる文化的特徴を持ち、異なる宗教を信仰しています。そのため、考え方が相いれない部分もありますが、カザフ人たちはそうした違いを受け入れつつ、モンゴルの土地に新たな "ふるさと" を作りあげ、多様なカザフ文化を受け継いでいきました。
家族へのありったけの想いを込めて
カザフ牧畜民はキーズ・ウイというモンゴルのゲルに似た形の住居で生活します。カザフの住居には至るところにカザフ文様が美しく装飾されていて、一歩中に足を踏み入れると、その独特の雰囲気に圧倒されます。まるで文様に囲まれて、守られているかのよう。
文様の装飾への利用は、カザフ文化の特徴のひとつです。カザフ人は刺繍や織りなどの技法によって文様を身の周りに、特に住居内の家具に装飾します。目につく部分だけではなく、ベッドのマットレスの裏など見えないところにも刺繍がびっしりほどこされているのですから驚きです。
私が出合ったあの刺繍布は、「トゥス・キーズ」とよばれる防寒用の壁掛け布でした。「トゥス」は視界を、「キーズ」はフェルトを意味します。壁掛けはかつて羊毛から作ったフェルトで作られていましたが、手芸の材料が入手しやすくなると布で作られるようになり、それに刺繍することで現在のような装飾性の高いものに発展していったと言われています。
この刺繍布はたいてい母親が自分の家族のために作ります。たとえば、子どもの誕生祝いとして、結婚して家を離れる子どもへの贈り物として、他にも何か良い出来事があった時に作り、名前や年代、メッセージを刺繍して布に家族の歴史を残すのです。
基本的には、布のほぼ全面に文様が刺繍されていますが、下端の部分にはあまり刺繍がありません。その理由には諸説ありますが、どうやらカザフ人はその刺繍を家族の幸せな状態を表したひとつの世界としてとらえ、そうした良き状態が終わることなく続いていくように、という想いと願いを込めて、わざと刺繍をほどこさないようなのです。
カザフ文様は、基本的には曲線的な形状をしています。それぞれに「種雄ヒツジの角」、「ヒツジの腎臓」、「鳥の頭」、「ラクダの瘤こぶ」など家畜の身体的部位に関係した名前が付けられています。とくに、カザフ牧畜民にとって”生きた財産”であるヒツジに関する文様はよく使用されます。ヒツジの文様で周りを満たすことによって、家族に豊かな状態をもたらそうとするのです。このように、トゥス・キーズには母親の家族を想う深い愛情があらゆる形で込められています。
女性が無心になれる瞬間
トゥス・キーズの大きさは平均して高さ130㎝×幅220㎝ほどです。この布のほぼ全面に刺繍するには大変な労力を伴いますが、人によってはなんと3か月足らずで完成させてしまいます。
その早さの秘密は、刺繍技法にありました。カザフ人はトゥス・キーズを作製する際、かぎ針を使います。かぎ針刺繍のことを、カザフ語で「ビズ・ケステ」と言います。刺繍用のかぎ針の先は非常に鋭く、硬い布も難なく貫通します。高さ1mにも及ぶ大きな刺繍枠を斜めに抱え、かぎ針を思い切り布に刺してドスドスと音を立てながら、編み物をするかのように素早く縫い進めていきます。
カザフ女性は結婚前に刺繍技法を習得していることが好ましいとされています。早い人は5歳くらいから学びはじめます。
「母親が布の上に小さな文様を描いて、縫ってみなさいと。最初はいくら縫っても全然うまくならないし、やめてしまいたかった。でも、ある日突然コツがつかめて、それからはどんどん楽しくなっちゃって。ひとつ文様を縫い終わると、母親がまた別の文様を描いてくれて、次第に大きな布も縫えるようになってね。そしたら、そんな私を見た母親が『ヒツジ飼いの娘が、ヒツジが戻ってきた時に刺繍している…(モンゴルのことわざ)』と言って、私をからかうのよ。まったく、毎日よく縫ったわ」
そんな彼女は彼女の7人の子どもたち全員に自分で縫ったトゥス・キーズを贈るために、時間を作ってはいつも刺繍しています。
別の女性から、「お土産に日本のヘッドライトを持ってきてね」と頼まれたことも。太陽光発電で電力を得ている牧畜民の家の中は、夜になると薄暗くなります。その女性は頭に懐中電灯をつけて、夜ももくもくと刺繍していたので、ヘッドライトが喜ばれました。その姿からは母親としての子どもへの強い愛情を感じると同時に、純粋に刺繍そのものを楽しんでいる様子もうかがえました。毎日休みなく家畜の世話に追われる牧畜民の女性たちにとって、刺繍に没頭する時間はいろんなことを忘れて無心になれる大事な時間なのかもしれません。
関わり続けること・学び続けること
布の作り手であるカザフ牧畜民は、我々と全く違う世界に生きています。「作り手の気持ちが知りたい。彼らの眼に近づきたい」と思い、カザフ人家庭にに2年ほど滞在、その間にカザフの手芸技法を学びました。外国人である私を温かく受け入れて、あらゆることを惜しみなく教えてくれたカザフの家族たち。彼らに恩返しがしたいと考えていた時、大学の先輩から「とにかく関わり続けることが大事」と、言われました。
こうした経緯を経て、帰国後はカザフ人から学んだことを展示会、ワークショップ、ブログなどを通じて発信する活動に従事してきました。また、カザフ刺繍を身近に感じていただけるように、現地の女性による刺繍商品の販売も行っています。
一方、活動を行っていく中で、異文化を紹介することの責任の重さも感じるようになりました。カザフ人のことも、カザフ刺繍のことも、実際はまだわからないことだらけ。私の眼で見ている刺繍布と、彼らが彼らの眼で見ている刺繍布はまだまだ "違うもの" なのです。
もっと深くカザフの世界に入り込んで学びたい…そんな思いに押されて、私はこの春大学院の博士課程に進学しました。これからも現地に赴きつつ、布と作り手のストーリーを追いかけます。関わり続けること、学び続けることが、恩返しのひとつの形だと信じて。
そして、いつか彼らの眼にもっと近づける日が来ると信じて。
取材・現地写真・文/廣田千恵子 写真/森谷則秋 編集協力/春日一枝