世界手芸紀行

【シェットランドニット】スコットランド 未来へつなぐ伝統の編み物

公開日 2022.09.13 更新日 2023.08.10
ライター=藤田 泉

コラム
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藤田 泉
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伝統のニットを未来へ — 島の挑戦


毛糸だま 2017年冬号より

<記事中に出てくる情報は本誌掲載当時のものです。>


シェットランド諸島はスコットランドとノルウェーの中間に位置する島々です。現在、空路ではスコットランドのアバディーンから約40分、エディンバラ空港からは1時間半。海路では、アバディーン港からシェットランドの州都ラーウィックまで12時間の船旅です。石器時代から人の定住があり、スカンジナビアやグレートブリテン王国の影響を受けてきました。陸から離れた諸島ですが、船での行き来が盛んだった時代は、重要な停泊地であり、貿易の拠点でした。

画像3海と崖とピートの丘に強い風が吹くシェットランド。寒冷な気候で大地はやせているため、農作物はなかなか育たない厳しい環境。それでも、その風景の美しさは息をのむほど


寒冷気候で、風が強く、ピート(泥炭)の大地のこの島では農作物は育ちにくく、歴史的に漁業と、土地固有の品種シェットランドシープの飼育が主要な産業でした。

画像4シェットランドシープの羊毛の特徴は、手で握ったときにふわっと跳ね返す弾力と温かさ。風が強く厳しい環境で育つため、毛の密度が高く、良質な羊毛となる


生活の糧としての編み物


シェットランド諸島の女性たちが、いつ編み物を始めたのか、正確な記録はありませんが、1580年にオランダ船がシェットランド諸島に多く停泊するようになり、手編みの靴下やミトンを買い求めたという記録が残っています。島の女性たちが編んだ靴下や、手袋、セーター、羽織りものは、島では手に入らないたばこやブランデー、靴、金銭などと交換されました。


19世紀半ば、編み物は全盛期を迎え、1901年には島の2/3の女性が羊毛産業や編み物に従事していたと言われています。戦争や移住、海の事故などで男性の人口が減り、未婚の女性や夫を亡くした女性にとって、編み物は重要な生活の糧でした。しかし、編み手たちは島を往来する商人たちによる「トラック」といわれる不平等なシステムに苦しめられます。商人の言い値で買い叩かれ、時には紅茶や砂糖、小麦粉、ドライ野菜やフルーツなどのうちの一品のみと物々交換されたため、それをさらに他の生活必需品と交換しなければなりませんでした。

画像5ラーウィックからバスで20分ほどのところにある港町、スカロウェイにある博物館の展示。昔はフェア島以外の地域では、比較的地味で自然色の色合いのものが多かった


第一次世界大戦後、羊毛価格は高騰し、機械編みが盛んとなり、フェアアイルニットに人気が出ます。手編みのニッターはもちろん、機械編みに従事する人も増え、その頃、島の3/4の女性が編み物に従事していました。編み物は家庭産業からより商業的なものへとシフトしました。


「世界一速いニッター」と英国編み物協会から認定されたことでも有名な島のニッター、ヘイゼル・ティンダルさんが、編み物を始めた時のことを振り返り、次のように語ってくれました。


「私は読み書きを始めるよりも前に、編み物を始めたの。母も祖母も親戚の女性、近所の女性、みんなが編み物で生活の糧を得ていたわ。"質の良いものを早く編む"というのは、お金を稼ぐ上で大切なことだったの。でも編み手の権利というのは、それは小さいものだった。バイヤーが買ってくれなかったらそれまで。編むパターンも糸も渡されたものを編むのが仕事だったの。昔、友人が編んだセーターはオリジナリティがあってそれは素晴らしいものだったわ。でもバイヤーは、これは売れないだろうからって普段よりも安い値段で買い叩いた。それ以降彼女は、素敵なセーターを編まなくなってしまったわ」

画像6母が35 年前(当時)に編んだというセーターを着る、ヘイゼル・ティンダルさん。何年も愛される伝統的なデザインが好き。編み物は、役に立ち、美しく、創造的なものと話す


ニッターであり、糸を紡ぐスピナーであるエリザベス・ジョンストンさんも言います。


「昔、編み物は、生活費を得るための手段でしかなかったわ。編み物は楽しいものではなかったわね」

画像1エリザベス・ジョンストンさん。ウールやニットが世界的に有名なシェットランドでも糸紡ぎの伝統は衰退しており、エリザベスさんはシェットランドで唯一のプロスピナー
画像2エリザベスさんのニットサンプル。まずは配色を決め、パターンを決める。早く編むことが大切だった時代に生まれたから、パターンはすべて頭の中に入っていると言う


オイルブームと100%シェットランドウールの誕生


そんな島の生活も1970年代、北海油田が発見されたことにより、大きく変わります。油田の発見は、シェットランド諸島の経済、雇用、公共部門の収益を大幅に押し上げました。オイルブームは島民の生活の質も向上させました。編み物以外の仕事に就くことができるようになり、社会進出を成し遂げた女性たちにとって、編み物は魅力的ではなくなります。編み物は、かつての長い搾取の時代を思い起こさせたからです。


若い編み手、リジー・シモンズさんは当時を思い出し言います。


「オイルブームがあった頃、父の収入は20倍に増えたわ。島民は編み物で生計を立てる必要もなくなった。学校に手編みのセーターを着ていくのは、田舎っぽくて、恥ずかしいことだったわ」


手編みのニッターがいなくなる反面、オイルブームのおかげで成功を収めたローカルジビネスも出現しました。豊富なカラーバリエーションの糸が日本でも人気があるシェットランドヤーンの会社ジェイミソンズです。

画像7サンドネスにあるジェイミソンズの紡績工場直営店。100%シェットランドウールヤーンが揃っている


ジェイミソンズ社はシェットランド諸島に唯一残る紡績工場です。美しい海と崖と羊の丘に囲まれた、風光明媚なサンドネスにあり、1800年代の紡績マシンが賑やかな音を立てて今も活躍しています。現オーナーのゲイリー・ジェイミソンさんは言います。


「父はシェットランドウールだけで良質な糸を生産したいといつも考えていたんだ。だが、シェットランドの羊毛は柔らかすぎて、機械で紡績することなんて無理だとみんなが口を揃えて言った。それまでは、シェットランドウールと硬いイングランドなどのウールをブレンドして糸を作っていたからさ。オイルブームが来て、市がベンチャー企業に出資してくれた資金で、カードマシンと精紡機を一台ずつ買って、父はこの紡績工場を始めたんだ。そして100%シェットランドウールの糸を作ってみせた」


ジェイミソンズは、良質なシェットランドヤーンと機械編みのフェアアイルニットで世界中の顧客を魅了します。手編みのニッターたちがその仕事を降りる一方、マーケットを受け継ぎ、次の世代に残しました。

画像8ジェイミソンズの紡績工場。ジェイミソンズは、地元の小中学校の放課後ニットクラブ活動の支援などもしており、土地に根差して伝統を守っている


シェットランド・ウール・ウィークの始まり


2010年、シェットランド諸島の羊毛産業と編み物の伝統文化に大きな転機が訪れます。英国チャールズ皇太子が主催する「キャンペーン・フォー・ウール」という英国羊毛産業プロモーションの一環で、シェットランド諸島でも「シェットランド・ウール・ウィーク」と呼ばれるイベントが行われることになったのです。


その仕掛人の一人が、島のもうひとつのウール会社、ジェイミソン・アンド・スミスのオリバー・ヘンリーさんです。オリバーさんは、50年以上にもわたり、シェットランド諸島600軒以上の羊毛農家から毎年260tの羊毛(シェットランドウール全体の約8割)を買い上げ、選別をし、ウールブローカーとして世界中にシェットランドウールを販売してきました。シェットランドウールの品質管理をしている重要人物です。

画像950 年以上シェットランドウールのグレーディングと販売に携わってきた、オリバー・ヘンリーさん。シェットランドウールを最もよく知る土地の重鎮として、シェットランド・ウール・ウィークをまとめ上げた


「2010年に島の羊毛産業のプロモーションイベントをするから、1か月で準備するようにと言われたんだ。すぐに羊毛農家とシェットランド博物館と一緒に準備を始めたよ。シェットランドウールを紹介するだけではなく、シェットランドという場所を世界にアピールするイベントにしたかったんだ。それと同時にこの小さなコミュニティで、伝統的なウール産業に就く自分たちの仕事を理解してもらう場にしようと思ったよ」とオリバーさんは言います。


シェットランド・ウール・ウィークでは、シェットランドウールの紹介はもちろん、編み物、織物、レースの販売や講習会が行われました。シェットランド諸島のガイドツアーなども行われ、海外からも多くの客を招き、大成功を収めます。島の650軒の羊毛農家にとっても羊毛価格が上がり、喜ばしい結果となりました。ウール・ウィークが始まり、年に一度開催されるようになって今年で7年(2017年当時)。世界中からシェットランドウールやテキスタイルのファンが集まり、シェットランド経済にとっても、とても重要なイベントとなっています。

画像10ジェイミソン・アンド・スミス社のニットキットのサンプル商品。フェアアイルのパターンをベースにしたモダンなパターンも多く展開している


未来に続くシェットランドニット


ウール・ウィークは島の人たちが伝統産業を誇りに思う大切なきっかけになりました。前出の若いニッター、リジーさんは「このウール・ウィークのおかげで、自分たちの編み物が、島にとって唯一無二の象徴的な存在であると認識することができたの。母や祖母が作ってきたものをとても誇りに思うわ。今ではニットは子どもたちにとってもクールな存在よ。学校でも編み物の時間ができたし、若者も編み物を始める人がとても増えているの」と言います。


また世界一速い編み手のヘイゼルさんやスピナーのエリザベスさんはウール・ウィークで人気のワークショップをいくつも抱え、世界に向けて編み物のDVDを発売しています。


「ウール・ウィークが始まり、編み物が島の人たちの楽しみになった。昔は、注文通りに編むしかなかったけれど、今は自分の思い通りに好きに編むことができる。それを世界中の人たちが見に来て、感動してくれる。自分たちの日常だと思っていたものを特別なものだと気付かせてくれたの。オイルブームが来て島は豊かになった。そのおかげで今はクリエイティブな趣味として編み物ができる。お金で幸せを買うことはできないけれど、お金で選択肢が広がったの」とヘイゼルさん。

画像11かつては生活のためにせざるをえなかった編み物を今は島の住民の多くが誇りを持って自由に楽しんでいる。伝統工芸の理想的な形


また、ウール・ウィークはシェットランド諸島という小さなコミュニティがひとつになる契機にもなりました。羊毛農家、紡績工場、ウールブローカー、博物館、テキスタイルカレッジ、ニッターたちすべてが伝統産業と文化を残すために協力し、自らの役割を全うしています。オリバーさんは「オイルブームはほんのわずかな期間の出来事。ウールや編み物の伝統を、将来に残していく努力をしていかなければいけないんだ」と話します。一度は衰退しかかったシェットランドの伝統文化は、またこうして生まれ変わりました。島民たちの伝統文化を残していこうとする努力と、それを楽しんで取り組める環境があるからこそです。

画像12ラーウィックにあるシェットランド・テキスタイル・ミュージアム。元漁師小屋を改造した小さな博物館は、ボランティアの地元ニッターたちにより運営され、シェットランドニットの中心地となっている


取材・文・現地写真/藤田 泉 編集協力/春日一枝

藤田 泉
ライタープロフィール / 藤田 泉
SLOW ART主宰。ポーランドを拠点に、土地の伝統や、文化を伝える伝統工芸品、雑貨を取り扱う。ポーランド・ヤノフ村の織り手との付き合いは長く、現地で伝統文化の継承に尽力。現地で織物を習うツアーも開催している。手工芸に関する取材のコーディネートや通訳、執筆、メディア寄稿も多数。著書に『中世の街と小さな村めぐりポーランドへ』(イカロス出版)『ポーランド ヤノフ村の絵織物 二重織りの技法と伝統文化が生まれた小さな村を訪ねて』(誠文堂新光社)がある。
https://www.slow-art.pl
藤田 泉
ライタープロフィール / 藤田 泉
SLOW ART主宰。ポーランドを拠点に、土地の伝統や、文化を伝える伝統工芸品、雑貨を取り扱う。ポーランド・ヤノフ村の織り手との付き合いは長く、現地で伝統文化の継承に尽力。現地で織物を習うツアーも開催している。手工芸に関する取材のコーディネートや通訳、執筆、メディア寄稿も多数。著書に『中世の街と小さな村めぐりポーランドへ』(イカロス出版)『ポーランド ヤノフ村の絵織物 二重織りの技法と伝統文化が生まれた小さな村を訪ねて』(誠文堂新光社)がある。
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