毛糸だま 2018年春号より
<記事中に出てくる情報は本誌掲載当時のものです。>
「チョラップ」とはトルコ語で靴下のこと。一般的な靴下の総称ですが、中でもウール糸で編まれたチョラップは、遊牧民系の人たちが履く伝統的な靴下を意味します。その文様や使われている色や形は、地域、さらには部族や集落ごとに異なり、足元を見ただけでどこの村の人なのか知ることができたと言います。
チョラップは彼らが身に着ける民族衣装の一部でもありますが、ウール製の靴下は寒い冬も足を温め、民族衣装を着なくなった後も、日常的に履き続けられてきました。しかし靴の普及により、分厚い手編みの靴下は徐々に需要がなくなり、近代化された現在では各地域で作る人も、作り方を知っている人も、世代的にほぼいなくなりつつあります。このチョラップの文様や形に魅かれ、今のうちに、もっと作り手から話を聞いておきたいと調べていたところ、ケレス地方の遊牧民の伝統の靴下を編む女性がいると聞いて、車を走らせました。
遊牧民の伝統靴下を作る女性を訪ねて
イスタンブルの南、マルマラ海を挟んで対岸にあるオスマン朝最初の首都である古都ブルサ。背後には標高2543mのウル山がそびえ立ちます。その山頂付近をぐるりと回り、車がやっと1台通れるだけの山道をたどって、ブルサから約80㎞、ここに遊牧民系住人たちが暮らすケレスがあります。目的の村はそこから更に10㎞のところの山奥にありました。
55歳になるアイシェさんは、この近辺では残り少なくなった、ケレス地方の伝統手芸の継承者の一人です。18歳で結婚した彼女の嫁入り持参品である長持ちを開けると、中からは遊牧民特有のビーズやスパンコールが付いた大判のスカーフや、ジャーセと呼ばれるナイロンの服、手編みのセーターなどと一緒に、たくさんのケレスのチョラップが出てきました。足首部分は白地にこげ茶か黒の菱形の連続模様、甲の部分は緑、赤、青、黄色などを使ったモチーフが入っています。これらモチーフが入った多色使いのものは女性用で、男性用は通常は白一色です。
「これはかぎ針で編むのよ」とアイシェさんは、慣れた手つきでチョラップの作り始めの部分を見せてくれました。彼女が愛用しているかぎ針は市販のものではなく、木製の柄が付いた手作り品でした。
昔、村の木製スプーンを作る職人さんが作ってくれたもので、当時は、針の部分は傘の骨や自転車のタイヤのスポークを加工したそうです。その後、普及した靴下用の5本の棒針も市販されていたわけではなく、村の職人さんやお父さんが作ったのだとか。
ただ、使われている糸はアクリル毛糸でした。この20年間に作ったというチョラップも、柄は昔と変わりませんが、材質はアクリル毛糸。それ以前はウール糸を使っていましたが、20年前、村に出入りする業者が、色鮮やかで安価なアクリル毛糸を持ち込んだことで、わざわざ手間をかけて糸を紡いだり、染めたりする人が徐々にいなくなり、ウール糸が手に入りにくくなったそうです。広大な高原で羊の牧畜をしている遊牧民系の人たちですら、ウール糸を使ったのは20年前までということになります。
靴下はいつ頃から編まれていたのでしょう。編み物であるから、編み物の歴史とほぼ同じであることは想像がつきます。手編み技術は諸説ありますが、紀元前2〜3世紀ごろ、アラビアの砂漠の遊牧民が最初に作ったと言われています。ウールが使われたことからも、それが牧羊をする遊牧民発祥のものと納得できます。現在、私たちが履く靴下の踵の角度は120度が一般的ですが、トルコのチョラップは踵を大きく包めるように直角です。
形を見るとわかりますが、口部分はゴム編みでなく、まるでブーツのような作りです。実際、チョラップは牛や水牛の皮革で作られるチャルク、またはマコセンと呼ばれる素朴な遊牧民の履物と合わせて履きます。チョラップが靴で、チャルクはその靴底のようにも見えます。
嫁入り先への贈り物 ドゥルとして編まれた靴下
トルコでワン湖に次いで2番めに大きいベイシェヒール湖の畔に、トルコでも珍しい木造モスクとして知られるエシュレフ・オール・モスクがあります。このモスクの前で、35年前から手編み靴下を売っている62歳になるハヴァさんと出会いました。この地方の靴下を手にとり、ひとつひとつのモチーフを説明してくれました。「角砂糖、水流、雄羊の角、犬の足跡、フック…。ドゥルのために数えきれないぐらいのチョラップを作った」と話します。
「ドゥル」とは贈り物を意味し、嫁入りの持参品として30〜100足用意して、嫁入り先の家族や親戚、お祝いに来た友人や近所の人に贈ります。時には披露宴の招待状に添えて配られることもあります。
ハヴァさんは結婚した3人の子どもには、ドゥルのチョラップを30足ずつ用意しました。ですが、現在28歳の末っ子には多分用意しないだろうと言います。それは現在の若者たちの間ではドゥルを贈る習慣は時代遅れであり、またドゥルを贈るとしても、普段の生活の中で履く機会のない手編みの靴下ではなく、実用的なタオルや下着などが希望されるからだそう。
この付近にはウール製の伝統的なチョラップを編んでいた村や集落が他にもいくつかあります。そのひとつ、ドーアンベイ村を訪ねました。路地で女性たちが家の前にゴザを敷いて、お茶を飲んでいるのを見つけました。ご近所の女性たちが集まり、トルコのお茶、チャイのグラスを片手におしゃべりしながら、一人の女性がアクリル製ではあるけれど、5本の棒針で伝統柄のチョラップを編んでいました。
彼女の名前はヌランさん。この地域で昔編まれていた古いウールのチョラップを見せたところ、母や祖母が作っていたのを見たことがあると答え、65歳になる彼女ですらウール世代ではないことがわかりました。トルコでアクリル毛糸が普通に手に入るようになったのは1965年頃。彼女が10代の頃には、すでにアクリル毛糸が一般的だったのです。もちろんヌランさんもこの地の慣習として、嫁入りの際はたくさんのチョラップを長持ちに入れて持参したし、子どもたちのためにも用意をしました。
アンタルヤのコワンルック村で暮らす73歳のシュクリエさんが、チョラップにまつわる65年前の面白い話をしてくれました。コワンルック村は遊牧一族カラコユンルが定住した土地のひとつです。ここでも嫁入り支度にチョラップは欠かせなかったと言います。幼かったシュクリエさんが、長姉が嫁入りするとき、未だに鮮明に覚えているシーンがあると話してくれました。
「母親や祖母、叔母たちがチョラップをたくさん用意して、人前で天秤計りに乗せたの。計りの最大単位が5オッカ、今でいう6.5kgで、それに達したので良しとされた。もしかしたら、それに達しないと相手方から嫁入りが認められなかったのかもしれない」と。ちなみに6.5kgは1足200gとして、約32足ということになります。
身を守るお守りとして、祈りや願いを込めて
このように、チョラップが実用品や嫁入り持参品のために作られてきたのは確かなこと。ただ村ごとの様々な文様や色遣いを見るとそれだけでないことも分かります。
その昔、ほとんどの遊牧民系の村に伝統的なチョラップが存在し、様々な意味が込められていて、村人の人生と共にありました。例えば結婚前に履くもの、結婚後に履くチョラップが異なるなど。暮らしや社会的な立場までを象徴するものであったのです。
また昔は家庭の中でも、特に目上の人に対して何でも言葉にすることができなかったため、気持ちをチョラップに託すこともありました。黒海地方のある村では、未婚の女性が左右異なるチョラップを履いていたら、家族に対して結婚したいという気持ちを伝えていたし、男性なら訪問先で脱いだ靴の下に左右異なるチョラップを履いていたら結婚の申し込みをしに来た、という意味があったそう。
伝統のチョラップは色で3種類に分類されています。白い色には善意の祈り、黒い色には悪意の祈り、多色を使用した場合には秘められた祈りが込められていました。モチーフ自体にも名称があり、意味があり、そのモチーフの数も重要でした。例えば目を意味するモチーフは、邪視から身を守るためのものですが、その数によってさらに強力になりました。
モチーフは鳥、鏡、耳飾りなど、周囲の自然や生活の中での出来事などから成り立っています。夫婦愛、家族愛などの良い思い出もあれば、災害や事件などの悪い思い出もあり、その思い出や空想や伝説などをモチーフで説明しているのです。
また色数が多いものや、装飾があるものには編み手の秘密、例えばあの人への恋心、家族を失った深い悲しみ、病気や怪我の悩みなどが隠されていました。悪いことは邪視から起きると信じられているトルコでは、邪視除けとして災いから身を守るためのお守りとして、狼の口、目などが描かれています。
以上のことから、伝統的なチョラップはなんのために作られたのか、と考えてみましょう。1つめは暖を取り、足元を保護する生活必需品として、2つめは「ドゥル」こと贈り物として、そして3つめが気持ちや意思の伝達手段、お産が楽にできますように、病気が治りますように、など祈りや信仰心からくるお守りとしての用途。こう考えるのが自然です。
トルコで女性たちが靴下を編むことは、現在でも冬の編み物シーズンになると日常的に見られる風景です。ただ需要のない長い靴下ではなく、実用できるフットカバーやルームシューズである「パティック」を作る人が多くなっています。
古くから文様や色には、それぞれに特別な意味が込められてきました。キリムや絨毯のモチーフの名称や色が持つ意味は広く知られていますが、伝統的なチョラップにも部族や村のシンボル、その土地での生活に密接した祈りや信仰などが描かれており、無言の語り部としてその役目を果たしてきたことがわかります。
独特の文様や色に伝えられた部族の誇り、妻から夫へ、母から子へと贈られてきた祈りと愛の証ということを心に刻み、これからも遊牧の民の伝統靴下「チョラップ」が語る言葉に耳を傾けていきたいと思います。
取材・文・現地写真/野中幾美 写真/森谷則秋 編集協力/春日一枝