世界手芸紀行

【漁師のセーター】ポルトガル 海辺の町、ポヴォア・デ・ヴァルジンに伝わる伝統

公開日 2022.12.16 更新日 2023.08.10
ライター=矢野有貴見

コラム
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矢野有貴見
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毛糸だま 2019年春号より

<記事中に出てくる情報は本誌掲載当時のものです。>


ヨーロッパ大陸の最西端に位置するポルトガルは、8世紀にイスラムの支配を受ける以前から他民族からの侵略と独立をくり返してきました。その文化的な影響は今も国の至るところで見ることができます。


南北に長い国は地方ごとの個性が際立っています。北西部の中世の面影が残るしっとりとした美しい町並みは印象深く、南部のアレンテージョ地方に広がる大地にオレンジ屋根の小さな家がぽつりと見える風景はいかにもポルトガルらしいでしょう。アズレージョと呼ばれる15㎝四方の美しいタイルは、その歴史を15〜16世紀まで遡り、建物や町中の公園のベンチといったものまでを飾る、ポルトガルを代表する工芸品です。


画像15リスボンのテージョ川に建つベレンの塔は16世紀の要塞で、その美しさは白いドレス姿の貴婦人にもたとえられます


ポルトガルの人々の、親切でおとなし気な雰囲気は日本人と通じるものを感じます。食べ物は「バカリャウ」と呼ぶ干しダラの料理が大好きで、365通りのレシピがあると冗談めかして言われるほどの国民食です。アジや黒鯛といった魚の干物も美味しく、漁業の盛んな国でもあります。料理にはあまり凝った味付けはせず、素材の美味しさを活かした調理法は、日本人の口にも良く合います。


漁師の作業着だったセーター


ポルトガル北部の海辺の町、ポヴォア・デ・ヴァルジンには、刺繍つきの可愛らしいセーターが伝わります。現在のポヴォア・デ・ヴァルジンは、カジノやホテルが立ち並び、夏になると海水浴客で賑わうビーチリゾートの町ですが、昔は大きな漁師町でした。


この漁師町にはかつて、他のポルトガルの町や村にはない特殊な漁師のコミュニティが存在していました。それはコルメイア(蜂の巣)と呼ばれ、大きな漁船を所有する裕福な人々、網でエビや魚を採る人々、海藻を採る人々、農民…などといった区分けでコミュニティが形成されていました。コミュニティ内の結束は非常に強く、それがこの地に独特の文化が生まれた背景であると言われます。現在、コルメイアはわずかに存在していますが、20世紀の間にその文化的な特徴は失われてしまいました。現代の一般人のコミュニティと漁師のコミュニティに違いはほとんどありません。


画像1昔の漁村の生活を再現した模型。素朴ながらも細かいところまで作り込まれ、船に乗った漁師の人形にはセーターが着せられています
画像2昔の漁村の家を再現した模型。家の中では女性たちが麻を紡いだり、糸車を回したりしています。正面の壁にはふたつの小さな部屋のようなものがあり、それぞれベッドが置かれています


そんな漁師のコミュニティで着られていたセーターは、元々は漁師の男性の作業着でしたが、今は主に祭りのときの男性の衣装として着られています。セーターのベースはウールの白い毛糸のメリヤス編みです。胸元にあいたスリット部分に、毛糸で編んだひもを編み上げ、首周りには5㎝ほどの立ち上がった衿がついています。裾と袖口、そして肩には数段のガーター編みで模様がつけられています。そしてセーターの前身頃と袖に、赤と黒の毛糸で海や漁業に関するモチーフなどがクロスステッチで刺繍されているのがこのセーターの大きな特徴です。ここがまたデザインの可愛らしいところでもあります。


画像3現在編まれているセーター。一番右は博物館が所蔵するセーターのデザインを参考にオーダーしたもの。細番手のウールで編まれているのでややタイトなシルエット。モチーフは上半分に置かれています
画像4町の博物館には、漁師の生活やシグラスに関する常設展示があり、見ごたえがあります。左のセーターはスペインで1940年代に作られたもの。胸元のスリットにポヴォア・デ・ヴァルジンのセーターと類似点があります


現在はセーターの下部分にまでモチーフが置かれているものが多いのですが、元々のデザインは胸のあたりまでしか模様はありません。本来はセーターを着た上から、ウエストに帯のように布を巻きつけていたからです。


画像51868年と記載のある、ポヴォア・デ・ヴァルジンの漁師たちを描いた絵画。腰には幅広の布が帯のように巻きつけられています
画像61913年に撮られたポヴォア・デ・ヴァルジンの漁師の男性の写真。セーターは細手の糸で、体にぴったりとした動きやすい形に編まれています。胸元のスリットは、毛糸の細いリボンで一か所だけ結ばれています


セーターは漁業に適した作業着で、冬場はもちろんのこと、夏でも寒い夜の海では欠かせませんでした。セーターは村の漁師の女性たちが作り、そして母や近所の女性から若い女性たちへ口伝と実践によって伝えられました。19世紀、漁の作業には無地のセーター、刺繍入りのセーター、どちらも着られましたが、日曜日や祭日に着るのは刺繍入りのセーターと決まっていました。女性たちによって編まれたセーターが、夫や子供たちへどんな日に贈られたのかは定かではありませんが、復活祭の日に新しいセーターをお披露目するのは習わしでした。


セーターを編む毛糸は、昔からウール産業の盛んなポルトガルの地域のひとつ、中部地方のエストレラ山脈で作られたものが主に使われたと推測されます。漁師の多くは20世紀後半まで貧しかったのですが、毛糸はそれほど高価なものではなく、漁師にとって毛糸を手に入れるのは難しいことではありませんでした。


セーターに刺繍されるモチーフ


セーターのデザインについては、現在確認されている一番古いものとして、18世紀のex-votoという教会への捧げものの絵の中に見られます。その頃にはすでにシンプルながら胸元などに刺繍が施されており、モチーフは鳥や十字架、王冠など、必ずしも海に関するものではありませんでした。また、18〜19世紀頃、近隣の村の女性がセーターを編み、それに村の年老いた漁師の男性が刺繍をしていた、という興味深い資料も残っています。


画像7カンテラを咥えた魚と、レースのような裾模様が可愛いデザイン。裾のほうにある十字架模様はシグラス 
画像8胸にカンテラと網、中段に錨と魚、下段に船とシグラス。袖にも錨


刺繍をする毛糸は赤と黒が使われます。これは地中海及び大西洋沿岸地域の代表的な色で、また自宅で生産するのに最も容易な色でもありました。刺繍のモチーフには、カンテラや網など漁業の道具、魚やカニ、エビ、タツノオトシゴといった海に関するもの、鳥、十字架、王冠、地上の自然、五芒星などのお守りモチーフがあります。そして、しばしば「シグラス・ポヴェイラ」というマークがつけられます。各々のモチーフは伝統的なものですが、どのモチーフを選ぶかは作り手の好みによります。


画像9中央に置かれたポルトガルの国家の紋章が目を引くデザイン。カニのモチーフもユーモラス
画像10シグラスの元になったものの一部。ヒトデや砂浜に残った海鳥の足跡といった海に関する物の他に、糸車や櫛のような身の回りの品々もモチーフになっています


「シグラス・ポヴェイラ」は単純にシグラスとも呼ばれますが、ポヴォア・デ・ヴァルジンの文化を語る上で重要なものです。それはこの町の漁師の家紋のようなもので、それぞれの家庭に代々伝わっています。星や十字架、動植物などからインスピレーションを受けた形で、直線的なデザインが特徴です。シグラスはセーターのほかにも、船や漁具、身の回りの物など、個人の所有物のマークとして描かれたり彫られたりしました。昔の漁師は字が書けなかったので、直線的なデザインは木やコルクといった素材にナイフで刻みつけるのに適した形だったのです。


シグラスが次の世代に受け継がれるときは、マークのそばに数字を表す印が添えられます。例えば、初代のマークが十字架を表す+だった場合、二代目には数字を表すIの印が添えられて+Iとなり、三代目は+IIといった具合に数字の印が増えていき、六代目になったときに、初代と同じように数字の印はなしに戻ります。この数字を表す印にも、井形や星形など様々な形があります。


画像16漁網を編む道具にも、シグラスが刻まれています


シグラス・ポヴェイラは何世紀にもわたって使われてきましたが、その起源には諸説あり、バイキング、フェニキア人、鉄器時代の南スペイン、ハンザ同盟(中世期に北海やバルト海沿岸のドイツの諸都市が結成した経済同盟)などがいわれ、各国によく似たマークが残っています。


シグラスは今もポヴォア・デ・ヴァルジンの家々に伝わっており、誇りを持って子孫に伝えられています。しかし、彼らの先祖がしたように、それを自分の所有物につけるようなことはなくなってしまいました。今、ポヴォア・デ・ヴァルジンの町を歩けば、通りの標識や石畳などに、村の歴史を慈しむようにシグラス・ポヴェイラが飾られています。


一旦途絶え、復活。そして現在


こんなふうに、何世紀もの間、ポヴォア・デ・ヴァルジンの漁師たちに着られてきたセーターでしたが、その歴史は一旦閉ざされることとなります。1892年2月、嵐による大規模な海難事故で、ポヴォア・デ・ヴァルジンの漁師たち、105人の尊い命が失われました。深い悲しみが町を包み、残された人々は漁師のセーターの白い色が喪に服するにはふさわしくない「明るい色」であるとして、それ以来セーターを着ることをやめてしまったのです。ちなみに、この海難事故がきっかけとなり、ポルトガル初の海難救助隊が結成されました。


それから数十年、セーターを着る人も作る人もいなくなりましたが、1936年になって、ようやく地元のフォークグループによって復活されました。そして60〜70年代には、地元の商店主が海外向けのおしゃれ着としての大規模なセーターの販売網を作りました。多くの漁師の女性たちは輸出用のセーターを編む内職をし、漁業の他にも収入を得る道が開けました。そして海外では、可愛らしい漁師のセーターは男性からも女性からも人気を博しました。


しかし現在の漁師の妻たちは、自分の夫にセーターを編むことはほとんどありません。現時点でコンスタントにセーターを編む人は初老の女性が5人ですが、彼女たちは漁師の妻ではありません。


画像17漁師のセーターを黙々と編む女性たち。左に座っているカルメンさんは元は地理の先生。漁師のセーターやシグラスについても造詣が深く、若い女性にもセーターの編み方を教えています


ポルトガル人が編み物をする時、首の後ろや腰の後ろから毛糸を前にまわしますが、それが嫌だったり、肩が凝るという人は胸の上あたりに安全ピンに似たピンをつけて糸を通します。そして棒針は先がかぎ針のようになっています。


画像11ポルトガルの女性が編み物をする時、専用のピンを胸の上につけて毛糸を通しているのをよく見かけます
画像12ブローチのようにビーズ飾りがついたヴィンテージのピンもあります


使用される毛糸は、昔は手紡ぎの細いウールの糸が使われましたが、時代とともに工業製品が使われるようになり、糸の太さも増してきました。現在、彼女たちが使用する毛糸は、着る用途によって変えています。祭りのダンス用に受注されたものは、体にフィットして動きやすくするため、細番手のアクリルの毛糸を使います。


一般的なセーターは注文主や作り手の好みによって、太めの糸や細めの糸、ウール100%のものやアクリル混を使います。そして男性用と女性用の違いは大きさだけです。糸の種類によってセーターの印象は変わり、太い糸のセーターはだぶっと着ると可愛いし、細めのウールの糸のセーターは伝統的な雰囲気があって、どちらも良いものです。


画像13現代風に作られた小物
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クリスマスの前になるとたくさんの注文が入り、編み手たちにとっては大変忙しい時期となります。需要は多いですし、誰か跡を継ぐような人はいないのかと質問をしたところ、教室を開いても集まるのはほとんどが高齢の女性だそう。若者にも数名セーターを編める人はいるようですが、それはほぼ個人的な趣味に留まっているようです。このまま廃れてしまうにはあまりに惜しい、可愛らしいセーターなので、何か残せる手立てはないかと私は模索している途中です。


画像18帽子にはタコと船と町の名前が刺繍されています



取材・文・現地写真/矢野有貴見 写真/森谷則秋 編集協力/春日一枝

矢野有貴見
ライタープロフィール / 矢野有貴見
文化服装学院アパレルデザイン科卒業。和装品のデザイン、古美術店の勤務を経て、Webやイベントなどでポルトガル民芸店「アンドリーニャ」を運営。『レトロな旅時間 ポルトガルへ』(イカロス出版)『持ち帰りたいポルトガル』(誠文堂新光社)『ポルトガル名建築さんぽ』(エクスナレッジ)などがある
http://www.olaportugal.net
矢野有貴見
ライタープロフィール / 矢野有貴見
文化服装学院アパレルデザイン科卒業。和装品のデザイン、古美術店の勤務を経て、Webやイベントなどでポルトガル民芸店「アンドリーニャ」を運営。『レトロな旅時間 ポルトガルへ』(イカロス出版)『持ち帰りたいポルトガル』(誠文堂新光社)『ポルトガル名建築さんぽ』(エクスナレッジ)などがある
http://www.olaportugal.net
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