毛糸だま 2019年秋号より
<記事中に出てくる情報は本誌掲載当時のものです。>
1991年のソ連崩壊に伴い独立したウクライナ。そのためロシアと国境を接する東側ではロシア語が使われ、ロシア様式の建物が多く残ります。それに対して、ウクライナ第2の都市リヴィウを中心とする西側ではウクライナ語が使われ、過去にオーストリア=ハンガリー帝国など欧州の国と併合していた時期があるため、中世ヨーロッパを彷彿とさせる建物が多く見られます。国土は日本の約1.6倍あり、人口は4400万人ほど。春夏は色鮮やかな花が多く咲き、気温も30℃くらいまで上がります。冬季は寒さが厳しく、首都キーウでは氷点下20℃の日も珍しくありません。年間を通して気温差の大きい国です。
伝統的刺繍が担う役割
刺繍は古くから伝統として伝わり、発見された最古のものでは2000年前の刺繍がオデッサの博物館に展示されています。当時は白糸で刺繍したものが多く、他には赤や黒の糸を単色で刺すのが主流でした。ウクライナの民族衣装である、刺繍が施されたシャツ "ヴィシュヴァンカ" に見られる、多色を使用した図案は、約150年前から始まりました。
当時、糸の染料にはハーブが主に使用され、土地や海や川の水に含まれる成分などの違いで、それぞれの地域の色に染められていました。よく使用された色は白・赤・青・黄・黒で、白は水を表し北の方角を、赤は火やエネルギーを表し南の方角、青は大気や空気を表し東の方角、黄は大地を表し西の方角を示し、特別な力を備えていると信じられていました。そしてこれら4色を混ぜることで誕生する黒は、すべてを併せ持つことで宇宙を表し、また万物は宇宙に還るという意味を持ちます。
刺繍は地方によって刺し方や図案が異なり、その図案は300通り以上。幾何学模様やカットワークが多用され、魔除けや子孫繁栄を意味する図案が多くあります。またお守りとしての刺繍もあり、人目に触れない脇に刺繍されているヴィシュヴァンカは「誰も見ていないところから見守っている」という意味があります。
図案の中でも特に手間がかかるのがフツル地方の刺繍で、片腕だけで9000回以上のステッチが施され、6か月以上の制作期間を要します。またウクライナ刺繍は、裏側と表側が写し鏡のように同じデザインになるのが特徴です。これは人間の本性は裏側に出ると信じられ、刺繍の裏側も表側と同様に綺麗に仕上げる必要があったためです。
この刺繍の伝統を受け継ぎ、嫁入り道具を用意するために、女性は5歳前後になると母親や祖母に教わり、刺繍を始めます。そして初めて制作した刺繍を燃やすことが一人前になった証とされ、その後本格的に制作をすることができました。14〜15歳前後までに衣類やタオル、クロスなどを40〜50枚用意できなければ結婚が許されませんでした。嫁ぐ際に持って行くこれらの刺繍を入れた木箱は、女性にとっての生涯の宝物になりました。
クロスステッチを使用した花や果実(苺やブドウ)の刺繍もあり、目にしたことがある人も多いでしょう。クロスステッチは150年ほど前にヨーロッパから入ってきた手法であり、刺繍を簡略化し、手間を減らすために用いられました。当時、クロスステッチを使用することで、ウクライナの刺繍の伝統が損なわれるのではないかと危機感を抱き、反対する人も少なくありませんでした。現在でも刺繍の研究家達の間では、このクロスステッチによる図案をウクライナの伝統と受け入れていない人も存在しています。
刺繍を受け継ぐ人々
現在、伝統刺繍を受け継ぎマイスターとして活動をしている人、独学で活動をしている人は合わせて約2000人います。マイスターとしての仕事は10年前には周囲から物珍しく見られていましたが、最近では伝統に対する考え方が再評価され、彼らにとって誇らしい仕事となってきています。
「なぜ刺繍を学ぼうと思ったのか?」という問いに対して、彼らは「私たちのDNAには刺繍の素晴らしさが染み込んでいるから」と答えます。自分たちの伝統に誇りを持ち、好きだからこそ学びたいと思う人が多くいる。だからこそ刺繍のワークショップや伝統を学ぶセミナーが毎週いたるところで開かれ、マイスターたちは生計を立てていけるのです。
マイスターの多くは、伝統を学ぶ専門大学で6年間在学し刺繍を学びます。その大学もキーウ、リヴィウ、オデッサなど大きな都市には必ず1校ずつ存在し、ウクライナ全土で10校ほどあります。また夜間学校も存在し、日中仕事をしている人でも学べるようになっています。
専業のマイスターたちにはいくつもの働き方があります。博物館に勤めて研究や作品の制作や補修を行う人もいれば、フリーとして活動し、自身の工房を持ちオーダーを受けて制作する人もいます。若いマイスターの中には自身のブランドを設立し、伝統を元にして制作した現代ファッションを発表する人たちもいます。海外からのウクライナ刺繍への関心も高まり、フランスやアメリカなどからも刺繍の講師として呼ばれ、ワークショップを行うマイスターもいます。また家族代々で工房を所有している人たちも存在します。
首都キーウより東に300kmの位置にあるポルタヴァ地方には、2019年に国から与えられた伝統文化センターがあり、そこでは刺繍のアカデミーが開設されています。以前までは近隣にある博物館のバックヤードで刺繍の教室が行われていましたが、文化センターを与えられたことで作業環境は格段に良くなりました。アカデミーの講師のマイスターはナジャさんとアーラーさんの2人で、その下には弟子が7人。生徒は50人ほどが学んでいます。
講師のナジャさんとアーラーさんは、それぞれ30年ほどのキャリアを持ちます。ナジャさんの家は代々続く、伝統手工芸のマイスター一家で、ナジャさんは祖母から刺繍を教わりました。初めてオーダーを受けて制作したのは16歳の時だったそう。夫はハンドペイント、娘はカーペットの織り、息子は木工細工を手がけています。そして孫娘は刺繍を学び、職人として働いています。
ここではウクライナ国内に限らず、世界各地から刺繍のオーダーを受け、講師である2人が中心となり3〜8か月かけて作品を完成させます。過去にはイギリスのエリザベス女王を含めたロイヤルファミリーから衣装やクロスのオーダーを受けたこともあります。
特に評価されているのは、ポルタヴァ地方独自の技法である、「ホワイト&ホワイト」という9種類のステッチを駆使して白地の上に白糸で刺繍を刺す技法です。このホワイト&ホワイトは2017年に国の文化省から国宝に指定された伝統的技法で、現在はユネスコ文化遺産への登録を目指し申請をしており、認定されるのがこのアカデミーの夢だと語ってくれました。
伝統を表現するために
ウクライナでは国を挙げた祭りが年に2回開催されます。ひとつはそれぞれの都市の記念日を祝うお祭りです。もうひとつはソ連からの独立を祝う国の独立記念日です。その際には、それぞれが持っている民族衣装を着てダンスをしたり、歌を歌ったりして皆でウクライナの伝統を思い出し、体で表現をします。着ている衣装も様々で、アンティークの民族衣装をセットで着ている人も見かけられます。他にはモダンなヴィシュヴァンカのブラウスを着ている人も多く、女性は私物のスカートを合わせ、男性はデニムパンツと合わせている人が多く見られます。
また最近はファッションとしてもヴィシュヴァンカは流行り始めており、多くのアパレルメーカーが伝統からインスパイアされたモダンなデザインのヴィシュヴァンカを販売しています。若者は、クロスステッチのヴィシュヴァンカをシャツの代わりに着用し、ジャケットを重ね着して仕事に向かう人もいます。
アパレルメーカーではなく、マイスターがオーダーを受け1点1点を長期間かけて制作したヴィシュヴァンカは非常に高価なため、そのお客のほとんどが政治家や芸能人などの著名人です。ですが彼らは、マイスターのヴィシュヴァンカを仕事中に着用することで、自分達の伝統である刺繍の素晴らしさを世界中に発信しようとしているのです。
2019年の4月に行われた大統領選挙により大統領が交代になりました。前大統領は自国の伝統文化に関心を持ち普及と発展に力を注ぎました。新しく就任した大統領は、ウクライナの伝統文化に対してどれだけの興味と関心を持っているかまだ語られていません。もしそれらを持ち合わせていなかった場合は、国からの援助が減ることで、刺繍マイスター達の活動に制限が生まれるのではないかと、不安視する人たちもいます。そして安価で少量の時間で製造可能な、チープなヴィシュヴァンカの生産に拍車がかかり、伝統文化が衰退していってしまうのではないかと恐れています。
ウクライナの刺繍における手仕事のクオリティの高さは国外からも大きな評価と関心が寄せられています。私が主宰するドーリッシュでは、アンティークのヴィシュヴァンカを中心としたウクライナの民族衣装全般を多く扱っており、ファッションとして楽しんでいただけるよう活動しております。そしてファッションを通じて、少しでもウクライナの伝統に興味を持っていただけたら、これほど嬉しいことはありません。
取材・文・現地写真/本橋拓磨 写真/森谷則秋 編集協力/春日一枝