毛糸だま 2019年冬号より
<記事中に出てくる情報は本誌掲載当時のものです。>
中近東料理を食べさせるレストランが軒を連ね、人の波が絶えないパリ5区、サン・ミッシェル界隈。その喧騒が嘘のように、館内には常に静粛な空気が流れ、心静かに教会芸術を鑑賞することができるのがサン・ミッシェル大通りに面したクリュニー中世美術館です。
その美術館の一角に、誰もが一度は見たことのある、かの有名なタペストリー「貴婦人と一角獣」が展示されています。「たったひとつの私の望み」という副題のついた謎めいたタペストリーは、長年、15世紀のフランドル地方(現在のベルギーやオランダの一部)で作られたものと考えられてきました。ところが、長年にわたる研究の結果、近年になってやっと中央フランス・オービュッソンを県庁所在地にするマルシュ地方で染色された糸を用いていたことが判明したのです。
フランス随一の高級タペストリーの産地、オービュッソン
羊毛の織物はペルシアで誕生し、ギリシアや中近東を経由し、十字軍によってフランスにもたらされました。12世紀、フランス王の夫に伴い、女だてらに第二回十字軍遠征に参軍したエレオノール・ダキテーヌも、毛皮より軽く温かい羊毛の織物にすっかり魅了された一人でした。彼女は自らの領地、アキテーヌ公国に戻ると、毛織物産業に乗り出しました。
もともとこの地は、たくさんの渓谷と小川によって形成されていて、クルーズ川の酸性の水は染色に適していたため、彼女の試みは大成功しました。それから150年後の14世紀、領主のルイ・ド・ブルブン、ラ・マルシュ侯爵は、百年戦争の混乱期に不況に陥った高級タペストリーのメッカ、フランドルから職人を招聘し、タペストリー工房を開設することを思いつきます。こうして、マルシュ地方のオービュッソンやフェルタンは、18世紀半ばの全盛期には3万人以上の職人がタペストリー産業に携わる、フランス随一の高級タペストリーの産地としてその地位を不動のものにしたのです。
2015年にパリのドロウ競売場に出品され、オービュッソン市によって競り落とされた「千花模様と一角獣」は、この地方で作られ現存している最も古いタペストリーです。主題はもちろん、図案や色さえクリュニー中世美術館にある「貴婦人と一角獣」と似通ったこのタペストリーは、ジャンヌ・ダルクと共に戦った王家に仕えたアントワーヌ・ド・シャバンヌがこの地方のタペストリー工房に注文したものでした。それまで、この地方の植物では、緑、青、グレー、からし色といった地味な色のみが発色可能だと思われていましたが、20世紀末に、この時代のタペストリーに赤が見つかっていなかったのは、この色が大変デリケートですぐに色褪せてしまうからだということがわかりました。
また、シャバンヌ家は王に忠誠を誓う剣の達人で、その功績を讃えて王の紋章であるライオンを用いることを許された大貴族でした。それまでマルシュの工房は、小貴族やブルジョワ向けの番手の太いウールの糸を用いた大衆的なタペストリーばかりを制作してきたと信じられていました。しかし、実は、番手の細いシルクや金糸銀糸などを用いた王侯貴族向けの注文にも応えられる高度な技巧をも持ち合わせていたのです。このタペストリーは、まさに歴史の謎に一石を投じることとなりました。
こうして2009年9月30日、オービュッソン市は500年も前から、図案作り、糸の染色、機織りまでを一手に引き受けてきた個人工房が軒を連ねているタペストリーの名産地として、ユネスコの無形民俗文化遺産に登録されることとなりました。
伝統技術の継承と現代社会へのアピール
「タペストリーは羊毛やシルク、金糸銀糸といった高級素材を用いた『糸の芸術』。かつてはレオナルド・ダヴィンチの絵画より高価でした。すべてのタペストリーには上下があり、図柄は芸術家の原画に基づいて、神話、狩猟、寓話、歴史的有名人物、数々の輝かしいイベントなどの絵画が、腕の立つ職人の手仕事によって織られています。そのため、床に敷く絨毯(フランス語でタピ)とは別格と区別されています。
一方で、タペストリーはカーテンのない時代に、冷たい石の壁を覆い尽くして暖をとるための実用的な装飾品でもありました。城が敵軍に攻め込まれた際はくるりと巻いて馬車に積み込み、次の城の壁に合わせて切って小さくしたり、時に接ぎ合わせることもできる万能調度品だったのです。そのため、当時と同じ状態で残っているものは非常に少なく、出入口の扉の部分に切り込みが入ったり、製造元や職人のサインが入った縁取り部分が切られているものがほとんどです」と話してくれたのは、「シテ・インターナショナル・ド・ラ・タペストリー・オービュッソン」の広報、セヴリンヌ・ダヴィッドさんです。
オービュッソン市の心臓にも当たるこの施設は、県議会や成人のための職業訓練校「グレタ」、エルメス財団法人などが協賛し、85万ユーロを投じて完成させたタペストリーの一大聖地。7500㎡という広大な面積を誇り、350枚の歴史的タペストリーが所蔵され、そのうちの100枚は常設展示されています。毎年、最新科学を用いた科学者の研究結果と歴史家による会議も開催されます。一方で1884年にパリとリモージュで同時に誕生したオービュッソン装飾美術学校の役割も果たしています。タペストリーの図案、下絵作り、何万色もの糸の選別、「バス・リス(臥機)」の扱い方と結び目作りや絨毯織りなど、様々な伝統技術の継承を行い、人材育成に努めています。
現在、シテには20名の職人が常駐しています。7.6mの伝統的横織機のあるアトリエでは、この道30年のベテラン職人のもとで2人の研修生が技術向上を図っています。
2013年から取り掛かっているタペストリーの一連は、「指輪物語」等で知られる作家で、挿絵画家でもある J. R. R. トールキンの14点の水彩画です。遊び心に満ちたトールキンの世界観をどこまでタペストリーで表現できるかが創作の鍵となります。同様に、コンクールを開催し、入賞した現代アーティストの下絵を新作タペストリーに作り上げることも、技術革新のために大切なことです。下絵作家と職人、伝統と革新、そのどれもが、現代社会にアピールするために必要なのです。
さらに高度な技術を要するのは、パリの文部省管轄下、国家家具調度品管理部門「モビリエ・ナショナル」の姉妹アトリエとして、宮殿や政府機関のために国の工房で作られた、17世紀以降のタペストリーを修復することです。本物の金糸銀糸をふんだんに用いた国家至宝を修復することは、腕の立つ職人だけに課せられた貴重なミッションです。シテ・インターナショナル・ド・ラ・タペストリー・オービュッソンは、科学と文化の両側面からタペストリーを紐解き、一般の人々にも理解を深めてもらうためのスペースなのです。
タペストリーの世界に魅了された日本人女性
オービュッソンの大部分を占めるプロテスタントの職人たちが海外亡命した1685年のナントの勅令廃止、顧客の貴族たちが次々に断頭台の露に消えた1789年のフランス革命、そして、ヨーロッパ中が不況の波に飲み込まれた1980年代の湾岸戦争と、数々の困難を乗り越え、オービュッソンには現在もタペストリーを作り続ける個人経営のアトリエが3社存在しています。
「昨今は、人の手のぬくもりを感じさせるアート作品としてタペストリーを手に入れようとする若いコレクターが増えたのは嬉しいことです」と、シテ・インターナショナル・ド・ラ・タペストリーの講師でもあるアトリエA2のマダム F. O. ペラン・クリニエールはその喜びを語ってくれました。
そんなアトリエA2には、京都造形大学を卒業し、WEBデザインの会社に就職した後、再び、天職である手仕事の世界へと人生のUターンを遂げた日本人女性、許斐(このみ)愛子さんの姿がありました。
「大学では染めから織りまで、テキスタイルに関するA〜Zを学びましたが、卒業後は、まったく違う分野で仕事していました。けれど30歳を過ぎた頃から、消費ばかりを促す社会に疑問を持ち、休みのたびにフランス各地を巡って、その地の手仕事に触れて歩いたのです」
そんな中で彼女は、杼(ひ)を渡しては踏み木を踏む、瞑想のような織りの作業と、素材となる糸の種類を変え、テクニックを駆使することで、何千何百という違った表情を見せる芸術的なタペストリーの世界に魅了されました。
友人にマダム・ペラン・クリニエールを紹介してもらい、日本で仕事を続けながら、熱意を持って自己アピールをくり返すこと2年。本来であればフランス人しか受け入れない成人職業訓練校「グレタ」に特例入学を許され、シテ・インターナショナル・ド・ラ・タペストリー・オービュッソンでより高い技術を習得しました。1か月の試用期間を経て、アトリエA2の正社員として働き出したのは今から4年前のこと。その日々を振り返って「まるで『わらしべ長者』のようでした」と笑います。
「オービュッソンは僻地のため交通の便は悪いのですが、その分、美しいところです。納品に間に合わせるため、残業することもあります。でも、ヴァカンスは年に5週間ありますし、時間に追われた日本での暮らしを考えると夢のよう。現在は、シテ・インターナショナル・ド・ラ・タペストリーが続行中のプロジェクト『宮崎駿のイマジネーションとオービュッソンのタペストリー』に関わり、『ハウルの動く城』の一場面をタペストリーに織る5m×5mといった大作に挑んでいる最中です」
そう語る彼女は、寸暇を惜しんでテクニックの発見と習得に邁進したおかげで、2023年、晴れて自分のアトリエを開業することになったそうです。歴史的フランスの手仕事の技を、現地の空気感とともに習得した許斐さんのような芸術家が誕生したことで、日本人には遠い存在であるタペストリーの魅力が我が国にも広く紹介される日もそう遠くはありません。
シテ・インターナショナル・ド・ラ・タペストリー
F. O. ペラン・クリニエールさんのアトリエA2
取材・文・写真/石澤季里 編集協力/春日一枝 写真提供(☆)/シテ・インターナショナル・ド・ラ・タペストリー・オービュッソン