世界手芸紀行

【マカトカ】ポーランド共和国 神・愛・家族 ヨーロッパの主婦たちの心の刺繍

公開日 2023.01.25 更新日 2023.08.10
ライター=藤田 泉

コラム
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藤田 泉
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毛糸だま 2020年春号より

<記事中に出てくる情報は本誌掲載当時のものです。>


マカトカ(Makatka)とは、ポーランド語で小さめのタペストリーを指します。刺繍や織物などで作ったタペストリーを総じてマカトカと呼ぶのですが、今回取り上げるのは、ヨーロッパの主婦たちが自宅に飾るために刺繍した格言入りの布のこと。ドイツではWandschoner 、ハンガリーではFalvédok と呼ばれます。多くは、白い麻布や綿布に、単色の綿糸で模様と格言が一緒に刺繍されたもので、19世紀から20世紀にかけヨーロッパ中の主婦たちの間で流行した手芸でした。


画像3下絵の上をアウトラインステッチで縫っていくシンプルな刺繍


この格言入り刺繍タペストリー(以下・マカトカ)は、19世紀前半のドイツやオランダを起源とし、イギリス、フランス、オーストリア、ベラルーシ、ブルガリア、チェコ、ポーランド、リトアニア、ラトヴィア、マケドニア、ロシア、セルビア、スロバキア、ウクライナ、ハンガリー、スウェーデンなど、ヨーロッパほぼ全域に伝わりました。それらの国の人々が信仰する宗教は、カトリック、プロテスタント、東方正教会、ユダヤ教などさまざまで、気候や文化も異なります。それなのに、マカトカが欧州各地の女性たちにここまで広がりを見せた理由は、どこにあるのでしょうか。


欧州の主婦を魅了した手芸


マカトカが誕生した19世紀のドイツやオランダの庶民たちの間には、Kinder(子供)、Kirche(教会)、Küche(台所)という3Kを大事にする価値観がありました。女性の社会進出はまだ珍しく、女性は家庭を守る母であり、妻であることが一番の幸せとされた時代でした。これは国や宗教、政治は違えど、ヨーロッパ社会全域に存在する普遍的な価値観でした。その価値観をもとに作られたのがマカトカです。家庭や愛情、信仰心に忠誠を誓うかのように、家庭の主婦たちは、各土地の格言とともに自由に絵を描き、刺繍を施し、マカトカを作りました。


画像4<良い子は母の宝>と刺繍され、ベッドの脇に飾られていたのかと 想像します


マカトカの模様は、伝統工芸品のように決まった模様や柄が存在するわけでも、ルールがあるわけでもありません。刺繍した人の数だけ、さまざまなマカトカが存在します。最も一般的なものは、単色の綿糸で(例えば、ドイツやオランダ、ポーランドは青が一般的、スロバキアやハンガリーは黒、ウクライナでは赤がよく使われました)、アウトラインステッチを用いて、線のみで表現した刺繍です。誰でも簡単に始めることができ、お金のかからない趣味であった点も各地に広まった理由の一つでしょう。後期のマカトカには、多色で刺繍されたものや、クロスステッチやサテンステッチを用いて刺繍されたものなども見られます。


民間の主婦たちの趣味であったマカトカは、素人の絵の域を出ないものが大半ですが、そこからは当時の主婦たちの愛情や遊び心を感じることができます。20世紀初頭のヨーロッパ庶民の家は広くて明るく、モダンな家具が置かれた家が増えました。工場生産されたものではなく、大切にしている信条などを自ら記して壁掛けの装飾にしたいという人が多くいたのでしょう。


マカトカの多くは、主婦たちの居城である台所に掲げられました。清潔さをうたったものはタオルに刺繍され洗面所に、愛や家族の絆を刺繍したものは、食卓のそばの壁や、リビングのソファーの上に飾られました。神への信仰心を表したものは祭壇やベッド脇の壁などに掛けられました。一般的なサイズは50×60㎝程度で、70×130㎝ほどの大きなものもありました。格言は覚えやすいもので韻を踏んだ短い句のようなものが多く、土地の方言などもよく使われ、誰にでもわかりやすいものが好まれました。


画像5マカトカは主婦の趣味。多くがキッチンに飾られました


各国のマカトカの格言を見てみましょう。


[ 妻・母・良き家庭についての格言 ]

・台所の宝は料理のできる女(チェコ)

・私の旦那さま、もっと稼いでくれないと小さなパン切れしか買えないわ(ドイツ)

・よく働く主婦は褒美に値する(スロバキア)

・塩とパンは最も大事なもの(ポーランド)

・おいしいごはんを食べたけりゃ、一緒にキノコ狩りに行きましょう(ハンガリー)

・私のキッチンはいつだって清潔、だから旦那さまが私を愛してくれるわ(ハンガリー)

・整理整頓は人生の半分(スロバキア)

・清潔さは病気の天敵(ブルガリア)


画像6<母なる大地>の格言入り。昔から多くの人に好まれた柄と格言です


[ 勤労であることや人生の教訓を記した格言 ]

・パンのためには勤労であれ(ポーランド)

・よく考え、素早く行動せよ(ポーランド)

・若さは喜び(チェコ)

・最初の決断が最善(ロシア)


[ 愛をうたった格言 ]

・赤いバラよ、どうして咲き乱れるの(チェコ)

・あなたも私のように愛して、そして最高の友人同士でありましょう(ロシア)

・天使の君、いつも僕のそばにいておくれ(スロバキア)

・太陽よ山から谷に下りてきて私の話を聞いてくれ、私の心が痛むのは誰にも言わないでおくれ(スロバキア)

・白い鳩が私の焦がれる心を村の先まで運んでいく(ハンガリー)


画像7<あなたのことが大好き、結婚するわ>と幸せいっぱいの マカトカ


信仰心を表したものには、宗教的な祈りの言葉や聖書の一節、讃美歌、神への願いや救いを求める言葉が刺繍され、第一次世界大戦時には愛国主義的なスローガンを刺繍したものも見られました。このように、マカトカは、当時の女性の社会的役割や価値観、世相を反映するもの、信仰心を表したものであり、それゆえに欧州各地の女性たちに、広がりを見せたのでしょう。


時代の変化の中で マカトカは時代錯誤の手芸なのか


マカトカは、1950年代から60年代にかけ、ヨーロッパ全域に広まり、ハンガリーなどでは80年代に入ってもよく作られていましたが、その後下火になります。女性たちが社会の中で活躍するようになると、過去の保守的な価値観をまとったマカトカは一気に時代遅れのものになりました。それだけではなく、フェミニストからは批判や皮肉の対象とされます。


ポーランドのフェミニストであり、刺繍アーティストであるアンナ・ザイデルは、2014年に中東欧最大のフェミニスト基金であるフェミノテカのために、世界のウーマンリブの活動家や女性政治家、女性作家の名言を刺繍したマカトカを作り、カレンダーを制作しました。また、自らの刺繍をオークションで売った資金で、現代の女性のためのマカトカの格言を募るコンクールなども開催しました。その際には、女性が男性の所有物であるかのような、昔の格言である〈良い妻は夫の宝〉という格言を皮肉った、〈良い妻は夫いらず〉という格言が優秀賞に選ばれたほどでした。


女性の社会的な役割だけではなく、性そのものに新たな価値観が生まれ、様々な意見や立場を理解することが重要な現代社会において、マカトカは、役割を終えた手芸なのでしょうか。その答えを求め、ポーランドで今でもマカトカを刺繍するダヌータ・スロカさんを訪ねました。


画像8ダヌータ・スロカさん。マカトカだけでなく、幅広い工芸品を作るポーランドでも類を見ない工芸家


マカトカの作家を訪ねて


ダヌータ・スロカさんは、ポーランドの北、バルト海沿いの街コシャリンに住む工芸家です。今でも昔ながらのマカトカを制作するほか、オリジナルの柄のマカトカを制作しています。ダヌータさんが小さい頃、父方の祖父母の家には、祖母が刺繍したマカトカ〈良い妻は夫の好物を作る〉が台所に飾ってあったと言います。


画像9<良い妻は夫の好物を作る>という欧州全土で見られた図柄と格言。ダヌータさんが小さい頃に祖母の家で見たものもこれでした


また母方の祖母が刺繍した十字を掲げるイエス・キリストのマカトカは、ベッド脇の壁に掛けられていたそうです。子供時代の思い出の懐かしさから、マカトカを自分でも作ってみようと始めたのが25年前。当時はマカトカを作る人はほとんどおらず、古い模様や格言を集めることから始めました。


画像10ポーランド北部コシャリンにある、工芸家・ダヌータさんの田舎のコテージ


ダヌータさんはポーランドをはじめ、各国のマカトカのパターンを90以上収集して描き直し、カタログに残しています。


画像11古い模様を収集する傍ら、オリジナル図柄の作品も作っているダヌータさんの制作途中のマカトカ。猫の家族がかわいらしい。<6人もコックがいると料理が台無しになる>という格言が入ります


「私がマカトカに興味を持ちだした頃、マカトカは忘れ去られた手芸でした。マカトカをもう一度使えるものにするため、マカトカを知ることから始めました。すると、当時の習慣や風習、価値観などを知ることもできました。それらはしばしば時代遅れで、くすっと笑ってしまうものもありますが、私にとってはとても興味深く、価値があるものです。私が初めて刺繍したマカトカは、祖母が作ったものと同様の〈良い妻は夫の好物を作る〉でした。やはり懐かしかったのでね。私同様、昔を思い出し、懐かしさからマカトカを注文して買っていく人は多くいます。また国外に出稼ぎに行っているポーランド人たちのために〈どこも良いが、故郷が一番〉というマカトカを何枚も作りました。古い格言が、今もなお、現代の人々の心を捉えているからではないでしょうか」


画像12木型で型押しをしたポーランド伝統のジンジャークッキー、ピエルニク


一つのものを作り続けるのはつまらない、と言うダヌータさんは、マカトカのほか、イースターエッグやピエルニクというジンジャークッキーの木型、彫刻や、かご編み、切り絵やパヨンクと呼ばれる天井飾りなど、さまざまなポーランドの民芸品を作ります。


画像1ジンジャークッキーを作るための木型。木工作品は大工だった父から習ったそう
画像2ピサンキと呼ばれるイースターエッグ。ダヌータさんはスクラッチ、切り絵、バティックなど、様々な手法でピサンキを作っています


伝統的なものでありながら、彼女のオリジナリティが大いに発揮された工芸品の多くが、彼女自身が誰に習うこともなく独自に研究し、習得したものであることに驚かされます。伝統的な良さはそのままに、現代の趣向に合わせた彼女のデザインの数々は素晴らしいものがあります。そのため、ダヌータさんのマカトカは保守的で〈古臭い〉ものにならず、魅力ある作品に仕上がっているのです。


画像13パヨンクと呼ばれる天井飾り。ホスティアという、カトリックのミサで使われる聖体のウェハースから作ったダヌータさんオリジナルのパヨンク


キッチュか芸術か マカトカの本当の価値


日々の糧に感謝し、丁寧に生活しようという人々の気持ちが読み取れる手芸マカトカは、ヨーロッパ中の主婦たちが愛した手芸でした。長年、美術研究者からは芸術作品としての価値が認められず、民俗学者からは、民芸品としての価値も認められてこなかったマカトカ。


しかし、「家族・愛・信仰心」などの普遍的な価値観をまとい、国、宗教、文化を問わず多くの国の女性たちを魅了した手芸は、近年では美術館や博物館に価値が認められ始めています。昔の人たちが大切にした価値観の中には、今も大切にすべきものが多くあります。マカトカの先人の教えの中には未来へのヒントもたくさん隠されているはずです。


画像14<男の子なんて大嫌い、不細工でもハンサムでも>の格言入り。女子二人のおしゃべりが聞こえてきそう


取材・文・写真/藤田 泉 編集協力/春日一枝

藤田 泉
ライタープロフィール / 藤田 泉
SLOW ART主宰。ポーランドを拠点に、土地の伝統や、文化を伝える伝統工芸品、雑貨を取り扱う。ポーランド・ヤノフ村の織り手との付き合いは長く、現地で伝統文化の継承に尽力。現地で織物を習うツアーも開催している。手工芸に関する取材のコーディネートや通訳、執筆、メディア寄稿も多数。著書に『中世の街と小さな村めぐりポーランドへ』(イカロス出版)『ポーランド ヤノフ村の絵織物 二重織りの技法と伝統文化が生まれた小さな村を訪ねて』(誠文堂新光社)がある。
https://www.slow-art.pl
藤田 泉
ライタープロフィール / 藤田 泉
SLOW ART主宰。ポーランドを拠点に、土地の伝統や、文化を伝える伝統工芸品、雑貨を取り扱う。ポーランド・ヤノフ村の織り手との付き合いは長く、現地で伝統文化の継承に尽力。現地で織物を習うツアーも開催している。手工芸に関する取材のコーディネートや通訳、執筆、メディア寄稿も多数。著書に『中世の街と小さな村めぐりポーランドへ』(イカロス出版)『ポーランド ヤノフ村の絵織物 二重織りの技法と伝統文化が生まれた小さな村を訪ねて』(誠文堂新光社)がある。
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