

ロックサウンズの社交場
コテージ・ホテルの女主人、エドウイナはテレビを所有していた。
舗装道路も幾筋か走っているこの島では、しばしば見かける大きなパラボラ・アンテナで、隣国アメリカのTV放映をそっくりキャッチできるのだ。
アフリカ系ルーツの人が80%というバハマ諸島は、スペイン領のあとは、英国領。植民地時代の主国語が訛ったクレオール語を話すけれど、公用語は英語のお国柄である。
食堂に置いてあるテレビで、ニュースやショー番組だけでなく、教会のおミサやお説教チャンネルなんかも、エドウイナは、毎日よく観ているようだった。
日曜日の朝にはグリーンのワンピースにパールのネックレスとコサージュでお洒落して、ドアがちゃんと閉まらない旧式の大型アメリカ車を駆って教会へ。
わたくしも一緒にと誘ってくださったが
「こんな格好で良いですか?」
「OKよ!」
申し訳ない。コットンのジャケットにジーンズという軽装備のわたくしである。
教会ではびっくりするくらい華やかに装った人々にあちこちで紹介され、歓ばれて嬉しいものの、ドレスコードの落差に身の縮む思い。
それでも一緒に楽譜を見ながら聖歌を歌い、回ってきたボウルにお布施も少し志す。
エドウイナは丁寧に紙に包んだお布施を準備していて、お寺では、わたくしの祖母もそうだったと、思わぬところで思わぬことを懐古する。
壇上にはハイヒール姿で金色のガウンを羽織った華やかな聖歌隊の女性たち。外に出ると、サングラスのスーツ男子は赤い聖書を手にきめて、一際クールな佇まい。
小さな少女たちも、お母さんの手作りワンピースがたとえちょっとだけぶかぶかでも、パーティに来たみたいに弾ける笑顔である。
日曜日の教会は、ピッカピカの社交場でもあったのだ。
またある日のエドウイナは、島の反対側にある大西洋に面した高級リゾート地やマリン・スポーツクラブ、潮が岩間から噴き上げている珍しい磯浜へと、わたくしの観光ガイド役も買って出て、まるで友人か家族のような扱いである。
コテージ・ホテルは他に泊り客もなく、やっと手に入れた貴重な孤独。
椰子の木陰のハンモックで潮の音を聴きながら落書きノートを綴ったり、お餞別に貰った友の選曲カセットテープを聴いたりと、のどかに過ごす平和な日々。
朝の散歩で出会う通学路の小学生たちは、グリーンのタータンチェックのスカートに白いブラウスの制服で、英国風なのがとても似合って洒落ている。
「グッド モーニング!」と、列になってすれ違う、彼等のクリクリした瞳のさざなみのような笑顔が愛おしい。
いたって幸せな日々なのにエドウイナは、日がな一人で過しているわたくしを不憫に思い、誘い出してくださっていたようだ。
数日後の1989年1月7日。
折りしも崩御された昭和天皇陛下のニュースをテレビで垣間見た彼女は、初めての東京の景色や人の多さにびっくり仰天してしまい、「 Terumi はここで暫く静かに過ごすべきね!」と、やっと理解を示したのだった。
はるばる届いたニュースに日輪を拝みつつ、帰国の日限も間近になっていた。
手芸、お料理本のスタイリスト。『毛糸だま』誌も担当中。趣味は、旅、音楽、手仕事。




