今回のゲストは本誌連載でもおなじみ、湯河原で「彩レース資料室」を運営している北川ケイさん。レースとの出合いは、49歳のことでした。
「大学を卒業して、すぐにお見合い結婚。そういう時代でした。3人の子どもが大きくなって、お姑さんの介護で仕事を辞めたのが49歳。旧家育ち、旧家の嫁でしたから、初めて自分の時間を持てたんです」
そこで思い出したのが編み物。
「22歳で嫁いだ当時、お姑さんが『何か習うといい』と。もともと編み物をやっていたので、市が主催する1年コースに通わせてもらって。そこで、ご高齢の女性たちがいきいきと編んでいたのを思い出したんです」
そこへ、もうひとつの出会いが。
とにかく行動派の北川さんのエピソードは尽きることがありません
「近所のお友達が『だったら、クンストレースをやらない?』って。棒針だから細い糸でも目を落とさず、ゆるゆるに編んでも大丈夫。私にも編めるレースがある!と(笑)。これは広めたいと、東京駅周辺で『クンストレース倶楽部』を始めました」
そこからの勢いがスゴイ。
「洋書を取り寄せて通信教育を始めて、受講生の皆さんと北海道から九州まで支部を作って。全員で八重洲地下街で展示会をやりました」
ついには自宅で資料室をスタート。
美しいクンストレースの傘。再現作品とオリジナル作品を展示しています
ライフワークの一つとして当時の作品の再現があります
再現された編造花も間近で見ることができます「クンストレースの本をネットのオークションで探していたら、明治や大正期の本が二束三文で出てくるんです。当時の本は和紙が良いからきれい。教本のはじめや奥付には、どんな勉強をしたか、個人の思いが書いてあって、読んでいると歴史がつながってくる。これは残さなければと」
同時に海外のレースにも広がりが。
「海外の雑誌を取り寄せると、教え方も編み記号も違うんです。百貨店の西洋骨董市に行くと、本場のレースが千円で埋もれていて。もう夢中で集めました」
唯一、海外で購入したレースは、ポーランドのコニアコウレース。
「20年前に、娘とポーランドにコニアコウレースを探しに行って。大雪でモスクワ空港が閉鎖された時は、空港のベンチで夜を越して大冒険でした(笑)。ホテルの若い女性が休日に車でコニヤコウの美術館を案内してくれたりして。風土に息づくレースにふれたことで大きく広がったんです」
やがて自宅での資料室に限界を感じ、今の場所へ移ることに。
コニアコウレースやネットオークションで買い集めたレースが展示されています
家庭用編み機の原型も展示
明治40年発行『九重編造花法 松の巻』(寺西緑子著)も展示
資料室には寄贈作品や再現作品も並びます「お友だちが『湯河原いいよ』って。今の建物に出合ったら、資料室用かと思うような間取りで。実はこの家には縁があって、新婚当初、美容院で見た雑誌に載っていたんですよ。船の形の家なんて素敵だなって」
伺うと、なんだか今の場所に辿り着くことが決まっていたかのよう。
資料室の離れで手芸倶楽部のメンバーと編むことも
「流れがありますよね。旧家の環境は発言する機会がないので、当時は自分がこんなに話す人間とは思わなかった。でも、私の祖母から習った昔の編み物が今、生きていて、意味のない時間はないのだなと。ここでも定期的に編み会をしますが、女同士グチを聞いたりしながら、皆で手を動かせる時間が幸せです」
様々な経験を経て花開いたレース人生が、周囲を幸せに。素敵です。
北川ケイ:きたがわけい
日本近代西洋技藝史研究家。日本近代の手芸人の技術力と情熱に魅了され、研究している。(公財)日本手芸普及協会レース師範。(一社)彩レース資料室代表。レース編み講師。彩レース資料室を神奈川県湯河原で運営中。
ライター。『日本映画ナビ』『ステージナビ』をはじめ、新聞・雑誌・ウェブサイト・劇場パンフレットなどで、映画・演劇に関するエッセイやインタビューを執筆。ミサワホームのウェブサイトにて「映画の中の家」、高校生に向けたサイトMammo tvにて「映画のある生活」の他数誌にて映画コラム連載中。
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