バーミアン
大きなタマリンドの並木路が美しい、かつては豊かな王国だった渓谷の地バーミアン。
仏教に篤く、数千の学僧のいる大学都市でもあったが、幾多の歴史に洗われて、わたくしが訪れた1976年頃は、時々ロバの鳴き声のする静かな村の佇まいだった。
広々と連なる磨崖に彫られた、身の丈38mと55mという東西二つの大仏様がつとに有名な、要衝の地である。
いつの頃にか、痛々しくお顔を失っておられたものの、足元には、小さく張り付くように宿屋やレストランが立ち並び、二仏は変わらず人々を救済して居られるのだった。
1979年の旧ロシア侵攻の折も、貴重な文化遺産である壁画に彩られた修行僧の石窟に難民を多く受け入れ、慈悲を示されたが、今また別の難民も住むという。
大仏の建立時期は不明。632年に、この地を訪れた玄奘三蔵の『大唐西域記』の記述が最も古く、「大仏は金色に輝き宝飾で彩られていた」とある。
その頃から数えても1400年のあいだ、二仏は人々を見守り続けてこられたのだ。2001年に、予告して爆破した人々の上にもまた、粉々となった大仏たちの遍く光が降り射したに違いない。
シャリーゴルゴラ
二仏の前に気持ち良く広がる耕作地のはるか正面には、1221年にチンギス・ハーンに攻め落とされたシャリーゴルゴラというイスラム時代の都城跡が、小山のような形で今も残されている。
フランス隊と並んで、バーミアンとは縁の深い日本隊の調査では、宝塔などの大規模な仏教建築の礎石も近年発屈されており、多様な歴史が層になって出てくる土地柄には改めて驚かされるばかりである。
シャリーゴルゴラのそばに暮らす女性が、欠けてはいるけれど、唐三彩の美しい鉢をわたくし達に見せにくる。薄手でしっかりとした硬い焼きの、優美な形の上品だった。
シルクロードの十字路として、豊かな文化文物の集積地だったバーミヤンには、このように中国などの遠方からもはるばると運ばれて来た、珍しい宝物がたくさんあったに違いない。
大仏様の足元に散らばっている瓦礫のうちにも、小さな彩色陶片や彫像の欠片らしきものを見つけることもあった。
「この巻き毛の一部はギリシア人の頭部に違いない。ヘレニズムだ、ヘレニズムだ。」と騒いでいるわたくしを、友が可笑しそうに見ている。
現在では、爆破された大仏と共に消えてしまったけれど、東大仏の仏龕の天井には、有翼の白馬が引く馬車に乗ったインドの太陽神スーリヤをはじめ、ギリシャの女神アテナ、彫りの深いペルシャぽい容貌の聖人たちや天使などが描かれていて、日本の仏教美術との違いにびっくり仰天したことだった。
豊かな異文化を尊重しあい、美しく調和させた、見事なコスモポリスだったバーミヤンである。
手芸、お料理本のスタイリスト。『毛糸だま』誌も担当中。趣味は、旅、音楽、手仕事。
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