毛糸だま 2021年冬号より
<記事中に出てくる情報は本誌掲載当時のものです。>
モンゴル国の西の端、バヤン・ウルギー県。そこには、19世紀末にカザフ草原から移住してきたカザフ人の子孫が暮らしています。彼らは遊牧文化を基盤とし、現在も家畜を飼いながら季節ごとに草と水を求めて移動する生活を送っています。
バヤン・ウルギー県は「アルタイ」というユーラシア大陸の中央にまたがる大きな山脈の山中に位置しています。県面積の大半は標高1600mを超える高地で、最も高いところは4000mを超えます。この辺りは1年を通じて雨が少なく、非常に乾燥しています。年間の平均気温は1℃、冬にはマイナス40℃に至り、時には夏でも吹雪くこともあります。
そんな天候の移り変わりが激しい自然環境下で暮らす彼らが、寒さから身を守るためにとりわけ重宝している素材があります。それは「フェルト」です。フェルトは天幕型住居の外壁となり、寝具や敷物となり、衣服となり、人間を寒さから守ります。また、厳冬期にはウシやウマの背を覆う防寒具としても使用されます。
カザフ牧畜民は毎年7月下旬に川でヒツジを洗い、毛を刈り取り、その後8月上旬にフェルト作りを行います。フェルト用の羊毛は、その年の春に産まれたばかりの仔ヒツジの毛か、夏前に一度毛刈りを行った成畜ヒツジの秋毛に限られます。これらの毛は柔らかく、良質なフェルトになるのです。
仔ヒツジ100頭分の毛で、幅1.5m×長さ15mほどのフェルトが作られます。天幕型住居全体を覆うには、そのフェルトが長さ80mほども必要とされます。こうして考えると、彼らの生活を支えるに十分なフェルトを作るためには相当数のヒツジが必要とされることが容易に想像できるでしょう。
フェルトは牧畜民にとって草原生活における必需品であると同時に、生活の豊かさを示す指標ともなり得る素材なのです。
弟子入り、最初のレッスン
そんなフェルトを使ってカザフ人が作る敷物のひとつに、「スルマック」というものがあります。スルマック1枚の大きさはおよそ1m×1.5m、厚みは1〜2cm、重さは7〜8kgにも及びます。防寒性に優れていて、天幕型住居での生活には欠かせません。
カザフの手工芸文化の調査のため、バヤン・ウルギー県に滞在をしていた2013年のこと。「帰国する前にカザフのかぎ針刺繍技法を習得したい」と思った私は、当時よく訪ねていたアイナグルというカザフ人女性に弟子入りを志願しました。
ところが、彼女が私に返した言葉は「まずスルマックを作ろう」でした。単に刺繍が習いたかった私は訳も分からず、しぶしぶ彼女の提案に従うことに。1枚のスルマックを完成させるまでには熟練の腕でも1か月ほど要します。私はとりあえず座布団サイズを作ってみることにしました。
初めに、色の異なる2枚のフェルトを用意します。それらを重ね、上のフェルトの表面に文様を描きます。この時、必ず「カザフ文様」が描かれます。カザフ文様のないフェルトの敷物を、彼らはスルマックとは呼びません。
カザフ文様は曲線的な形をしていて、「ヒツジの角」を表しているといわれます。ヒツジは牧畜民の衣食住を支える家畜であり、人々はそれを象徴する文様を敷物に施すことで、使う人が豊かで幸せな状態になるようにと祈念します。
フェルトを2枚重ねたまま、ナイフで文様を切り抜きます。切り抜いた文様をもう一方のフェルトの切り抜かれた部分にはめ込むと、色が反転したセットが2つできます。つまり、この作業で2セット分の下準備ができるのです。
次に、どちらか先に作る方のセットを選び、ナイフで切った部分を縫って再びつなげます。その後、裏面に裏地となる別のフェルトを重ねて端を軽く縫い留めておきます。
続いて、表面の文様の縁に紐で飾りつけをします。この飾りつけによってフェルトを縫い合わせた部分を隠します。この作業がなかなか大変。というのも、紐の準備から行わなければなりません。細い糸を3本取りにして、紡錘機で撚り合わせて紐を作ります。この時、紐は右撚りと左撚りのものをそれぞれ用意します。左右の紐を2本揃えて文様の縁上に置き、撚りの回転をそれぞれ内側に向けて合わせることによって、V字模様に見えるように縫い留めていきます。このV字模様を彼らは「タンダイ=(ヒツジの)口蓋」といいます。紐の模様すら、ヒツジに結びつけて認識しているのです。
その後、フェルトの全面に刺し縫いを施します。実は、この刺し縫いこそが、この敷物が「スルマック」と呼ばれるゆえんです。スルマックは「刺し縫い」を意味するカザフ語の動詞「スロ」と同じ語幹を持っています。いわゆるコーチング・ステッチのように、フェルト上に糸を置き、その糸を挟み込むように、約5mm間隔で縫い留めます。
刺し縫いを施した部分は別の素材かと錯覚するほど硬く丈夫になります。刺し縫いは敷物を長く実用に耐えうるものとするために必要不可欠な工程なのです。とはいえ、厚いフェルトを何度も縫う作業には力が必要で、終わった頃にはへとへとに疲れ切っていました。
"沢山" 作る女性たち
レッスンを始めてから約1週間。仕上げはスルマックの端の縁取りでした。二色の色糸を編み込みながら縫いつけて補強し、端からフェルトが傷むことを防ぎます。
すべての工程を改めて振り返ってみると、スルマックは単にフェルトの圧縮・切り取りだけではなく、糸を撚って、縫って、編んで…実に多様な技法を用いて作られていました。つまり、あらゆる技法を知り、それらに熟練した人こそ、美しいスルマックを作ることができるのです。
カザフ人にとって縫う・織るなどの手芸技法は女性が担うものであり、スルマックは女性が作るものとみなされています。幼い頃から手芸が大好きだったアイナグルさんは、周囲の女性たちのスルマック作りを手伝いながら技術を習得したそうです。
「お母さんと沢山作ったの」と、何枚も広げて見せてくれました。丁寧な縫い目からは、彼女が本当に好きで楽しくてスルマックを作り続けてきたであろうことが、ひしひしと伝わってきます。
一方で、好き嫌い・得意不得意に関わらず、女性はスルマックを作ることを求められる場合があります。調査中に偶然立ち寄ったお宅では、スルマックが1〜2枚しか使われていませんでした。私はその家の女性に「今までに何枚スルマックを作ったことがありますか?」と尋ねました。するとその女性は、「沢山作ったわ。今はここにはないけれど。娘を1人嫁がせるのに最低10枚は作ったのよ。4人いるから40枚!」と、スルマックを作りすぎて左右に反れた人差し指を少し恥ずかしそうに見せてくれました。
スルマックの三つの用途
女性たちが何枚もスルマックを作る理由は、その用途にあります。スルマックは「防寒のための敷物」ですが、用途はそれだけに限りません。
第2の用途として、客人が来た時には「おもてなしの道具」となります。カザフ人にとって「客人が来ること」は「良いこと」であり、人々は折に触れて親族や姻戚を自身の家に招いて食事を振る舞います。その際、天幕型住居の床一面を満たすようにスルマックを敷き、その上にお茶やお菓子を用意しておきます。こうすることで、歓迎する気持ちと相手への敬意を示すのです。
第3の用途として、スルマックは「尊重すべき人に贈る物」でもあります。たとえば、結婚の際、新婦の母は新郎の父とその兄弟全員にスルマックを1枚ずつ贈らなければなりません。カザフ人は兄弟が多いため、かなりの枚数を必要とします。今でこそ既製品の絨毯と合わせて用意されるようになりましたが、かつては10枚でも20枚でも、必要な分はすべて手作業で作られていたそうです。これを準備できないことは相手への敬意を欠く行為とみなされます。新婦の母は娘が嫁ぎ先で恥をかくことがないように、心を込めてスルマックを作ります。この習慣は現在も続いていて、美しいスルマックを準備した母親は両家から讃えられます。
スルマックは新婦側が持参財を贈る儀礼の際に一緒に贈られます。その際、新郎の父は受け取るとすぐに広げて参加者に披露し、自分の足元に敷きます。こうすることで、新婦の母の労をねぎらい、両家における良好な関係を構築していく意思を示します。スルマックは人と人をつなぐ重要な役割を持つ敷物なのです。
絆をつなぐあたたかな手仕事
今となってみれば、当時なぜアイナグルさんが最初にスルマックを教えようとしたのか、その意味を理解できる気がします。
牧畜生活に欠かせないフェルトという素材で、それを使う人の幸せを願った文様が施されるスルマック。女性達はたとえ指が変形しても、家族のため、友人のため、これから家族となる人のため、嫁いでいく娘のためにと縫い続けます。そして、それを使う人、受け取る人もまた、それがどれほど大変な工程を経て作られているかを知っているからこそ、自身に対する敬意を感じ取ることができるのです。スルマックには遊牧民の生活、技術、世界観、そして愛情が縫い込まれています。まるでカザフの人達そのものを表しているかのよう。スルマックを知れば知るほど、彼らに近づくことができるのではないかとすら感じています。
2020年、突然のパンデミックの中、人の距離が、心が、どんどん離れていくような感覚に襲われました。きっと、そう感じているのは私だけではないと思います。そんな中で、人と人をつなぐために用いられてきたこのあたたかなフェルトの敷物を、今こそ日本の人たちに伝えたいと思い、少しずつ紹介する活動を始めました。遠く離れた人たちとの絆を失わないためにも。
いつか多くの人にこの素敵な手仕事をお届けできる日が来ますように。
取材・文・写真/廣田千恵子 編集協力/春日一枝