世界手芸紀行

【エプロンとボンネット】ルーマニア トランシルヴァニアのきらびやかな伝統の手仕事

公開日 2023.08.12 更新日 2023.09.21
ライター=谷崎聖子

コラム
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谷崎聖子
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毛糸だま 2022年春号より

<記事中に出てくる情報は本誌掲載当時のものです。>


ヨーロッパの東の果て、ルーマニアの中央から北西部までの部分を占める、トランシルヴァニア地方。カルパチア山脈に三方を囲まれ、深い森があちらこちらに広がる自然豊かなところです。近年ではだんだんと社会が変化しつつあるものの、地方の町や村には今もなお、古き良きヨーロッパの息遣いが残っています。


画像7馬車の音がのどかな田園風景にふさわしい、トランシルヴァニアの農村部


ここは、第一次世界大戦まではハンガリー王国の一部でした。古くから、ルーマニア人、ハンガリー人、ドイツ系ザクセン人の三民族が共存してきたため、地域によって色彩が異なる、多様性に満ちた独特の文化が生まれました。その多様性は、民俗衣装にも反映されています。川ひとつ渡り、村ひとつ越えるだけで民族的背景や民俗衣装がすっかり変わるということもありますし、同じ村の中でも民族によって衣装が異なるということも少なくありません。


主に山あいの地方で暮らし、羊の放牧を生業としていたルーマニア人は、ウールの毛糸を紡ぎ、織ったスカートを装うことが多かったようです。マラムレシュ、ビストリツァ、フォガラシュ、ルペアのルーマニア人のエプロンは特に有名です。深く鮮やかなウール糸の幾何学模様が浮かび上がるさまは圧巻で、寒さの厳しい北国ならではの装いです。


画像8ルペア近郊ルーマニア人の村では、クリスマスの日に鮮やかなウールのエプロンを身に着けて教会へ出かけます


多種多様で装飾性の高いエプロン


ハンガリー人にとってフォークロアの宝庫とされるカロタセグは、エプロンの多様さ、華やかさが特に際立っています。19世紀頃までは、男性も麻の手織り布でできたワイドパンツの上にエプロンを身に着けていました。女性の装いは、古くは黒いコットンサテン、20世紀初め頃からは様々な色のウールやコットン、シルク、化繊などの工場製の布に細かいプリーツが寄せられるようになりました。


装う人の年齢や祝日によって、エプロンやスカートの色が変わるなど、その村それぞれの決まりがあるのも特徴です。本来は生地を継ぎ足すために縫い合わせた刺繍が、だんだんと装飾としての用途が大きくなり、今のような刺繍の継ぎ目のあるエプロンとなりました。


今でもジョボク村にはエプロン作りの職人おばあさんがいて、布の継ぎ目を紙で裏から補強させながら、色とりどりの刺繍糸で幾何学模様「茂みステッチ」を刺繍していく、昔ながらの手法を守っています。プロテスタント教徒にとって成人式といえる信仰告白式では、14歳を迎えた少年少女が民俗衣装を装いますが、その何年も前から民俗衣装の制作に取り掛かるといわれています。


画像9☆カロタセグのハンガリー人が装うエプロン、「茂みステッチ」と呼ばれる色鮮やかな継ぎ目が特徴


メーラ村では、孫娘のために制作中のエプロンを見ましたが、厚紙で刺繍部分だけを先に作り、後で布に縫い付ける手法が取られていました。


ボガールテルケ村のエプロン職人のおばあさんは、ハンガリーのカロチャ刺繍の図案を参考にビーズ刺繍のための図案を起こしたと話していました。


画像1カロタセグ、メーラ村にて手刺繍のエプロンのパーツ。固い台紙に布をのせ、刺繍が施されます
画像2カロタセグ、ボガールテルケ村にてカロチャ刺繍から起こした図案と型紙 


かつて、四角い刺繍の面に沿って、上下左右対称形の花、上に伸びる枝、鳥などのシンプルなモチーフが刺繍されていたのが、今ではより具象的でより大ぶりの花の連続模様が好まれているようです。腰部分には、スモッキング刺繍「ダラージョラーシュ」で精密な幾何学模様を作っていたのが、現在では作り手がなく、布にビニール素材のメッシュ生地を敷き、その穴の部分をビーズで幾何学模様に刺繍をしていく手法が取られるようになりました。


画像10★カロタセグ、3つ継ぎ目のあるエプロン。上がスモッキング刺繍「ダラージョラーシュ」、下がビーズ刺繍による継ぎ目


1980年代の終わり、社会主義が崩壊する前に住み慣れたトランシルヴァニアからドイツへと移住したザクセン人の衣装も、各地に残る強固な城塞教会、規則正しい町や村の風景とともに彼らの生きた痕跡を残しています。


白や黒などシックな色合いを好む民族性は、繊細な刺繍のエプロンにもよく表れています。空気のように軽いシフォンのエプロンの裾と接続部分には、フィレ・レースの透かし模様が優雅で、1876年の年号とともに、植木鉢から伸びる植物、鳥、女性の形が白い刺繍糸とともに浮かび上がります。


画像11シビウ近郊ザクセン人のエプロン。1876年の年号と人物、鳥、植物のモチーフがフィレレースで作られています


他にも白いコットン布に、黒い小ぶりの花柄や持ち主の名前、制作年号などを刺繍したものも見られます。都市部やその近郊の裕福な村に暮らしていたため、いち早く工場製の高価な素材を取り入れ、薄いレースや刺繍にも貴族的な趣向が感じられます。


エプロンは、トランシルヴァニアの衣装には欠かせないもので、スカートの継ぎ目が中心にあるため、そこを隠すための役割も備えていました。飾りの少ないスカートに対して、装飾の自由度がきわめて高く、祝日用は特に豪華な素材を使い、刺繍や織りの模様で飾り付けたエプロン。まさに衣装の顔ともいえる存在で、それぞれの美意識や個性が最もよく表れた品といえるでしょう。


スカーフの内側の装飾、ボンネット


その昔、村で生きる女性たちにとって、結婚後に髪を隠すことは大切なことでした。結婚式の最中に行われた髪結いの儀式は、少女が夫人へと変わる通過儀礼ともいえるものでした。カロタセグでは、花婿の母親が嫁にボンネットを贈る習慣があり、花嫁の髪を結い上げてからボンネットを被せ、最後に花嫁のヴェール「ドゥランドレー」を結びました。さらにボンネットの前部分、ちょうど額の上にはヘアバンド「チプケ」を着け、ボンネットを固定していました。


また女性の年齢によっても使う色、図案が変わります。若い婦人用ボンネットは赤が多用され、具象的な花模様が多く、高齢の女性は青や緑など暗い色の幾何学模様がふさわしいとされました。その昔、高齢の女性は、白髪になじむように白いボンネットを装っていたようです。もともとは結った髪を固定する役割であったのが、簡素化されてスカーフだけを被るようになり、だんだんと装う機会が失われていきました。


画像12☆フィレレースでできたカロタセグの中年女性用ボンネット。結い髪の代わりに、太い紐が通してあります


ザクセン地方にほど近いバルツァシャーグのハンガリー人は、衣装にもザクセン人の影響が表れていますが、クロッシェレースでできたボンネットを装います。幾層にも鮮やかな色を重ねて編み、下には年号やイニシャル、植物モチーフなどを刺繍した帽子状のもので、後頭部には、肩にかかるほどの白いレース飾りがついています。上からは、白いベールのようなスカーフを装いました。


画像13ザクセンの影響が色濃い、バルツァシャーグの衣装とレース編みのボンネット


カーソンの村では、中世の貴族の衣装に起源を持つとされるボンネット「チェペス」が残っています。黒いシルク生地に細かくプリーツを寄せて頭の形に添って半月型に形成したボンネットはまるで帽子のようですが、昔は祝日に白いスカーフを上から被せていたようです。フリルやビーズに表れるボンネットの豪華さは、セーケイと呼ばれる特権階級ハンガリー人の地位を表していたともいわれています。


画像14カーソンのプリーツを寄せ、ビーズで飾り付けたボンネットは、そのままで帽子のように身に着けます


カロタセグのメーラ村では、職人のおばあさんがフィレレースによるボンネット作りを続けています。先が二股になった特製の編み棒に糸を巻き付け、目を増やしながら細やかな正方形のネットを作っていきます。やがて土台ができたら、木枠に張り付けて今度は刺繍に取り掛かります。四角く透かした部分をマス目のように数え、糸を何度もくぐらせながら、丁寧に糸を重ねていきます。


画像3フィレレース用の編み棒で、ネットを作る様子
画像4メーラ村のボンネット職人のおばあさん。編んだネットを木枠に張りつけ、刺繍をする光景


一方、カロタセグ西部の村では、チュールのような既製のネット生地に赤や金色のリボンや赤や緑、金色の色紙を張り付け、スパングルやビーズで彩ったアンティークのボンネットを見ることがありました。


画像5カロタセグ西部のアンティーク、ボンネット。星やハートのような形が色紙で張り付けられていました
画像6★カロタセグのフィレレースでできたアンティークのボンネット。若い婦人用


パドゥレニのルーマニア人のボンネットは、黒いウール糸の幾何学模様がぎっしりと埋め尽くされた刺繍の布にレース編みの縁がついた細長く小さなものです。装い方も珍しく、スカーフの後にボンネットを被り、後頭部から白いスカーフがまるでポニーテールのように長く垂れ下がります。


画像15パドゥレニの刺繍ボンネット。厚いウールの糸の隙間から、幾何学模様が浮き上がります


山の麓に暮らすトロツコーのハンガリー人は、周辺の鉱山で富を得たため、高価な素材と精密な手仕事を施して、他にない見事な民俗衣装を誇りました。黒地のコットンに白い刺繍が美しいボンネットは、細やかなサテンステッチによるもので、ルネサンス美術の影響を色濃くした、独特の図案の世界を示しています。また縁には、ボビンレースによる繊細な手仕事が彩りを添えています。


画像16トロツコーのボンネットは、サテンステッチの植物模様とボビンレースが素朴な温かさと優雅さを感じさせます


ザクセン人のボンネットには二つの種類が残っています。一つはスカーフの下に隠れる、レースなどで編んだ柔らかなボンネットです。側面はカロタセグのものと同様にフィレレースで作られていて、何種類もの花の連続模様が浮き上がり、前頭部はまるで太陽のようなクロッシェレースによる円形のモチーフが続いています。もう一つは、そのまま帽子のように被るもので、黒い別珍や花柄のコットン布など厚みのある素材にレースやリボンの飾りがついていました。


画像17シビウ近郊ザクセン人のボンネット。繊細なフィレレースとクロッシェレースが見事に融合されています


普段はほとんど人の目に触れず、隠れる部分であるボンネットがこのように工夫を凝らし、色鮮やかに作られてきたことは注目すべきことでしょう。19世紀の終わり、カロタセグの手仕事が各地の博覧会に出品されたときに、オーストリア・ハンガリー帝国のエリザベート王妃がドロンワークの白いベッドカバーを求め、村の女性は代わりに金のボンネットを貰ったという逸話が残っています。何メートルもの手織り布に、細やかなドロンワークや白いサテンステッチの模様を散りばめたベッドカバーは、労働の結晶とも呼べる品です。それと同等の価値があるのならば、ボンネットは既婚女性の密やかなおしゃれ心を満たす品であったに違いないと思われます。エプロンが見せるための装飾品だとするのならば、ボンネットは見せない装飾品といえるでしょう。


画像18紅白の模様が鮮やかなフィレレースは、ベッドカバーの継ぎ目に使われます


取材・文・写真/谷崎聖子 撮影/Vargyasi Levente(☆) Ferenczi Anikó(★) 編集協力/春日一枝

谷崎聖子
ライタープロフィール / 谷崎聖子
伝統刺繍研究家、民俗衣装コレクター。FOLK ART Transylvania オーナー。2008年よりルーマニア、トランシルヴァニア地方在住。日本帰国時に展示会や講習会を行うとともに、現地からオンライン・ワークショップを開催。2021年横須賀美術館企画展「糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。」にコレクション出品。主な著書に「カロタセグのきらめく伝統刺繍」がある。
http://morino-kanata.com/
谷崎聖子
ライタープロフィール / 谷崎聖子
伝統刺繍研究家、民俗衣装コレクター。FOLK ART Transylvania オーナー。2008年よりルーマニア、トランシルヴァニア地方在住。日本帰国時に展示会や講習会を行うとともに、現地からオンライン・ワークショップを開催。2021年横須賀美術館企画展「糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。」にコレクション出品。主な著書に「カロタセグのきらめく伝統刺繍」がある。
http://morino-kanata.com/
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